Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

財務官僚が国会前で反アベデモ

[1日 東京] アベ総理は「現在の日本経済低迷の原因は2014年に実施した消費税増税であり、そのマイナスの影響はリーマンショックに匹敵する。したがって、日本経済復活のため、10%への消費増税を凍結するともに、2014年の増税も撤回して消費税を5%に減税する」と発表した。
この発表について国民からは歓迎の声が相次ぎ、日経平均は2万円を突破、円相場も1ドル120円台の円安となっている。
一方、この発表に憤慨した財務省の官僚たちは、職務を放棄して国会前に集結し、「アベ政治を許さない」「あべしね」などと書かれたプラカードを掲げて国会前広場を占拠している。
このデモに駆けつけた野党民縮党のオカダ代表とノダ前総理は、「消費税を5%に減税したら、アベ政権は国民の支持を得て憲法を改悪してしまう。憲法を守るために消費税を10%に増税して、アベ政権を打倒しなければならない」と演説し、財務官僚たちの歓声を浴びていた。
また、反アベ派のハマ教授は「アホノミクスを止めなければならない」と叫び、周りの財務官僚も「アホノミクス!アホノミクス!」と連呼していた。
本紙記者の情報源である財務官僚は「消費税増税が実現するまで、このまま国会前を占拠し続ける。このストライキで、本当にこの国を動かしているのは財務官僚であることを、アベ総理に思い知らせてやる」と語っていた。


財務官僚が国会前で反アベデモ - 日本敬財新聞



日本経済の現状を考えれば、消費税増税など言語道断であり、むしろ減税が必要なのですが、増税を支持しなければ出世できない財務官僚にとっては、そんなことはどうでも良いのでしょう。
アベ政権に反対する人たちも、財務省の詭弁には惑わされないようにしてほしいものです。

モンティ・パイソン化するアメリカ政治

[ワシントン 1日] アメリカの共和党民主党の主流派は、ドナルド・トランプ氏が大統領に就任すれば、アメリカのみならず世界の安全保障にとっても大きな脅威となるため、どのような手段を取ってでも阻止する必要があることで意見が一致し、トランプのようなバカの大統領就任を阻止するため、両党が合併して「賢者党」(Sensible Party)を設立し、統一候補としてヒラリー・クリントン氏を擁立することで合意した。
これに対してトランプ氏は、「共和党民主党エスタブリッシュメントが賢者づらして国民の意思を無視しようとしている。奴らが俺たちをバカというのならばそれでも良い。奴らこそが合衆国を外国に売り渡して衰退させた張本人なのだから。我々は奴らに対抗するため「バカ党」を設立しよう。合衆国には反知性主義の伝統がある。バカこそがこの国の多数派だ。」と演説し、「バカ党」(Silly Party)の設立を宣言した。
さらにクルーズ氏が「バカならばトランプには負けない」と「すごいバカ党」、サンダース氏が「我々はあれほどバカではない」と「ちょっとバカ党」を設立するなど、アメリカ政治はモンティ・パイソンのコントのような状況になりつつある。
これに対して、アメリカの主要紙は相次いで「国民の賢明な判断を望む」という内容の社説を掲載し、「賢者党」への支持を明確にした。一方、インターネットでは「バカ党」の支持者が「賢者党」をバカにする書き込みが溢れている。


モンティ・パイソン化するアメリカ政治 - Finansilly Times



この記事で取り上げられている「モンティ・パイソンのコント」とは、このサイトでも取り上げられている「選挙速報スペシャル」のことでしょう。


映画・ロック地獄サバイバル法: 空飛ぶモンティ・パイソン 第2シリーズ第6話


しかし、アメリカ政治をモンティ・パイソンに例えるとは、ブラック・ジョークですね。もはや誰もがバカみたいに見えてしまいますw

腐敗や緊縮はなぜ起こるのか

最近、僕が読んだ本の中に、ジェイン・ジェイコブズの「市場の倫理 統治の倫理」があります。元々は、僕がこのブログでも取り上げたことがある山岸俊男氏や松尾匡氏の著書で内容が取り上げられていたので興味を持ったのですが、たまたま最近復刊されたこともあって読み始めたところ、夢中になってしまいました。

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この本では、古今東西の様々な道徳律を2つのタイプに分類して、それぞれを「市場の倫理」と「統治の倫理」と呼んでいます。

市場の倫理 統治の倫理

  • 暴力を締め出せ
  • 自発的に合意せよ
  • 正直たれ
  • 他人や外国人とも気やすく協力せよ
  • 競争せよ
  • 契約尊重
  • 創意工夫の発揮
  • 新奇・発明を取り入れよ
  • 効率を高めよ
  • 快適さと便利さの向上
  • 目的のために異説を唱えよ
  • 生産的目的に投資せよ
  • 勤勉なれ
  • 節倹たれ
  • 楽観せよ

  • 取引を避けよ
  • 勇敢であれ
  • 規律遵守
  • 伝統堅持
  • 位階尊重
  • 忠実たれ
  • 復讐せよ
  • 目的のためには欺け
  • 余暇を豊かに使え
  • 見栄を張れ
  • 気前よく施せ
  • 排他的であれ
  • 剛毅たれ
  • 運命甘受
  • 名誉を尊べ
「市場の倫理」は商業や生産、科学に関係する職業に見られるもので、「統治の倫理」は政府や軍隊、宗教、独占企業などに見られものです。さらに言えば、「市場の倫理」は取引(trading)に関する道徳、「統治の倫理」は占取(taking)に関する道徳です。
先に述べた山岸俊男氏は、この「統治の倫理」と「市場の倫理」を、「安心社会」(閉じたメンバーの中で相互監視することで、お互いを信頼することなく安定した人間関係を築き、安心を得られる社会)と「信頼社会」(開かれたメンバーの中で信頼出来る相手を見極めることで人間関係を築く、信頼に基づいた社会)に対応させています。 また、山岸俊男氏も松尾匡氏も、「統治の論理」を日本の伝統的な「武士道」、「市場の倫理」を日本の伝統的な「商人道」に対応するものとして、日本社会を「武士道」が重んじられる社会から「商人道」が重んじられる社会へ変えていくべきだと論じています。日本はまだまだ「安心社会」や「武士道」、つまり「統治の倫理」に基づいた「ムラ社会」が根強く残っていますが、経済発展や市場経済の浸透にともなって「ムラ社会」が解体されるにつれて、これまでの倫理が通用しなくなっているので、「安心社会・武士道・統治の倫理」から「信頼社会・商人道・市場の倫理」への移行という観点で、ジェイコブズの考え方が受け入れられやすいのでしょう。
ただ、ジェイコブズの本を読むと、彼女は「統治の倫理」と「市場の倫理」は人類社会が最初から持っている2つの倫理体系であり、この2つの倫理体系を混ぜ合わせることで倫理的破綻が生じることを問題視しています。欧米では昔から2つの道徳体系が両立しているため、「移行」という観点はあまりないのでしょう。 このような倫理体系の混合による倫理破綻の例としては、犯罪組織(ジェイコブズはシチリア系のマフィアを取り上げてますが、日本で言えばヤクザが典型的でしょう)、旧ソ連などの共産主義国不良債権となった発展途上国への融資、アフリカの狩猟採集部族であったイク族を定住させて農業をさせようとした結果、腐敗し略奪を行う集団になってしまったこと、アメリカの投資銀行が行ったLBO(買い入れによる買い占め)による企業の敵対的買収、アメリカ軍産複合体などが取り上げられています。 このような倫理混合による破綻を防ぐために、歴史的には統治に関わる階級と商業に関わる階級を分けることが行われてきました。日本の江戸時代の「士農工商」もその一例でしょう。ただ、日本の江戸時代は一般的なイメージよりも階級間の人の移動は大きかったのですが。 統治階級は「取引を避けよ」の倫理を守って商業活動に関わらず、商業階級は下級階級とされて統治には関われませんでした。ただ、統治階級は治安を維持し交易を暴力から守ることで商業階級を保護し、商業階級は金銭面で支援することで統治階級を助けました。そのようにして、2つの倫理体系は並存していたのです。 ただ、近代社会では身分制は否定されていますので、このような方法をとることはできません。そのため、人々は「統治の倫理」と「市場の倫理」の両方に従う必要があるわけですが、倫理の混合を防ぐために、その時の状況によってどちらの倫理体系を選択するか、自覚して自分のモードを切り替えることが重要であるという結論となっています。
ただし、この本は原書が1992年、日本語版が1998年に発売された本であり、著者のジェイコブズも2006年に亡くなっています。そのため、それ以降に起こった事件については取り上げられていません。 ただ、この本を読んでいると、最近の事例についても、倫理混合による問題をいくつか指摘することができます。
まず思いつくのは中国の腐敗でしょう。習近平政権になって積極的な腐敗の摘発が進められていますが、そのために失脚した共産党幹部の中には、1兆円を超える不正蓄財をしていた者も何人かいました。政治家や官僚の腐敗は世界中のどの国でもありますが、これだけの規模の腐敗は中国くらいでしょう。また、中国は政府のトップから個人レベルに至るまで、あらゆるレベルに腐敗が及んでいます。 このような中国の腐敗は、ジェイコブズが取り上げていた共産主義国の腐敗と基本的には同じものですが、市場経済導入によって経済規模が拡大し、それと同時に共産党支配による「統治の倫理」と、市場経済導入による「市場の倫理」の混合が果てしなく進んだ結果、10億を超える人口を抱える国家と社会全体が腐敗してしまったのだと思います。 具体的に言えば「統治の倫理」の「取引を避けよ」が無視されて、共産党のトップから末端役人までが自分の利益のために、自分の職務権限を「取引」に使ってしまったため、汚職がまん延したのでしょう。さらに中国の多くの企業は国営企業なので、そこも汚職に巻き込まれ、さらにそこと取引していた民間企業や外国企業、個人にまで汚職が広がったのだと思います。 もちろん民主主義国にも腐敗はあります。最近だと上から下まで不正経理が蔓延していた東芝や、環境規制をごまかすために、テスト中だけ規制をパスするようなソフトウエアをディーゼル自動車に組み込んでいたフォルクスワーゲンが代表的な例でしょう。ただ、民主主義国の場合、社会全体、国家全体が腐敗してしまうことはなく、どこかで不正が露見して歯止めがかかります。 習近平汚職追放を政権の最大の課題にして、強権を振るって汚職摘発を行っていますが、このような見方から考えれば、共産党支配を終わらせて民主的な政治制度を確立するか、市場経済を統制して経済発展を諦めるか、そのどちらかしか中国を腐敗から救う道はないことになります。共産党が自らの支配を終わらせることはないでしょうから、このまま汚職追放を続けていけば、いずれは経済衰退しか道がないことがはっきりすると思います。
次に思いつく事例は、リーマンショックを招いたアメリカ金融業界の腐敗です。ジェイコブズの本ではLBOを取り上げていましたが、2000年代に入ると、これまで住宅ローンを組めなかった貧しい人々にローンを組ませ、多数のローンをリスクに応じて分割したり、別々のローンを組み合わせたりして、リスクが少なくて利回りが良く見える金融商品に仕立て上げて、大量に販売する手法が編み出されました。これが「サブプライムローン」です。 この方法は住宅価格が上昇しているうちは、ローンの借り換えで支払いができるため破綻しなかったのですが、住宅価格が下落するとローンを払えない人々が続出し、家を差し押さえても十分な担保にならないため、金融商品の購入者に約束した利息を払えなくなりました。さらに多くのローンがバラバラにされたり混ぜ合わされたりしていたため、どのサブプライムローン商品がどれだけ損失を出しているのかすら分からなくなり、これらのローンを大量に抱えてた金融機関の経営危機に発展しました。この危機はFRBなど各国の中央銀行が金融機関の救済と大規模な金融緩和を行ったため、世界大恐慌再来の寸前で食い止められたのですが、それでも破綻を食い止められなかった金融機関が出たことや(リーマンショックの語源となったリーマンブラザーズがその代表です)、日本のように大規模な金融緩和を躊躇して大不況に陥った国が出たこともあって、今なお世界経済に大きな傷跡を残しています。
このように、「統治の倫理」と「市場の倫理」の混合は、世界有数の大国が丸ごと腐敗したり、世界大恐慌を引き起こしかねない原因となってるのです。ジェイコブズが存命なら、間違いなくこれらの問題を論じていたでしょう。
ここまで述べてきた腐敗の問題は、ジェイコブズの本を読んだことのある方なら納得してもらえると思います。ただ、僕はこの本を読んでいるうちに、もう一つ「統治の倫理」と「市場の倫理」の混合による大きな問題が発生しているのではないかと思うようになりました。 それは「緊縮」です。
現在、日本では消費税増税を予定通り行うか、延期もしくは凍結するかが大きな政治的問題となっていますが、今は国債金利も低く、急速なインフレや円安の危険もなく、むしろデフレや円高が懸念され続けています。世界的にも経済成長の低下が大きな問題になっていて、これまで行われてきた大規模な金融政策だけではなく、各国が財政政策も行うという合意が、先日のG20でもなされています。客観的に見れば、今、増税を行う理由はないでしょう。 しかし、それでも財務省をはじめとして消費税増税固執する官僚、政治家、マスコミ、経済学者は少なくありません。 ジェイコブズの本を読んでいて、彼らが消費税増税固執する理由、さらには世界的に「緊縮主義」が広がっている理由も、「統治の倫理」と「市場の倫理」の混合にあるのではないかと思うようになりました。 「市場の倫理」に「節倹たれ」という項目があります。分かりやすく言えば「節約せよ」ということでしょう。「緊縮主義」を信奉する人々は、この倫理を無自覚のうちに「統治の倫理」と混ぜ合わせてしまっているのではないでしょうか。 政治家や官僚は統治者であり、「統治の倫理」に従わなければなりません。彼らに経済政策を助言する経済学者やエコノミストも、その時は「統治の倫理」に従うべきでしょう。 しかし「節倹たれ」は「市場の倫理」ですから、これを「統治の倫理」と混ぜ合わせることは倫理的破綻を生じさせます。そのような倫理的破綻が最も分りやすい形で生じたのは、実は東日本大震災のときだったと思います。

東日本大震災から5年がたった。3月11日のテレビではこれまでの5年を振り返った放送が多かった。筆者は5年前の3月11日は大阪にいたので、大震災はほとんど体感しなかったが、東京の家では本箱、コンピュータが倒れて大変だった。当日は新幹線が動かなかったので大阪に一泊して、翌朝早くに東京に帰ってきた。

大震災の状況は大いに気になったが、その過程で、当時の菅政権が野党の自民党谷垣禎一総裁と組んで「復興増税を企んでいる」という情報が入ってきた。

これは経済学を学んだ人なら、すぐ間違いとわかる政策だ。課税の平準化理論というものがあり、例えば百年の一度の災害であれば、100年債を発行して、毎年100分の一ずつ負担するのが正しい政策である。その当時、大震災という重大事に何を考えているのかと大いに憤った記憶がある。

そこで大震災直後、2011年3月14日付けの本コラムで「「震災増税」ではなく、「寄付金税額控除」、「復興国債の日銀直接引受」で本当の被災地復興支援を 菅・谷垣『臨時増税』検討に異議あり」(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2254)を書いた。正直言えば、大震災直後の人命救助が重要なときに、復興モノを書くのはためらったが、時の菅政権のあまりの非常識に怒ったわけだ。

このときの増税勢力は勢いがよかった。大震災で、多くの人が被災者を助けたいという「善意」を悪用して、復興増税は結果として行われた。

経済学者も情けなかった。そのとき、経済セオリーを主張する者はほとんどおらず、逆にセオリー無視の復興増税を推進した人たちのリスト http://www3.grips.ac.jp/~t-ito/j_fukkou2011_list.htm)は以下の通りだ。


[http://gendai.ismedia.jp/mwimgs/2/5/600/img_25cf709652c63fe37be515c8f87fefca350530.jpg:image]


一流と言われる学者たちでもこの有様なので、社会からの信頼を大いに落としただろう。

大震災直後の増税勢力は、1ヶ月後の4月14日、復興会議の五百旗頭真(いおきべまこと)議長の挨拶のなかに「増税」を盛り込ませている(2011年4月18日付け本コラム「あらためていう。「震災増税」で日本は二度死ぬ 本当の国民負担は増税ではない」(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2463)。

5年たった現在、そのことがどう評価されているのか。今年3月12日に放映されたNHKスペシャル『“26兆円” 復興はどこまで進んだか』は興味深かった(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160312)。インタビューに応じた五百旗頭氏が、開口一番「復興増税がよかった」といったのだ。これにはかなり驚いた。


増税勢力は東日本大震災を「利用」した 〜あんな非常識なやり方を忘れてはいけない  | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] 増税勢力は東日本大震災を「利用」した 〜あんな非常識なやり方を忘れてはいけない  | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] 増税勢力は東日本大震災を「利用」した 〜あんな非常識なやり方を忘れてはいけない  | 高橋洋一「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]



この時のことは僕も覚えています。東日本大震災が起こり、福島第一原発が大事故を起こして、2万人近い死者・行方不明者が出て、何十万もの人々が避難生活を余儀なくされ、東京でも電力や物資の不足に苦しんでいる時期に、事態に責任を持つ政治家や、一流と思われていた経済学者やメディアが、被災者そっちのけで増税を唱えだしたのですから。

これこそまさに「倫理的破綻」だと思います


この時、復興増税を唱えた勢力が、今もなお消費税増税固執しています。あれだけの大災害でも増税を唱えた人たちですから、日本経済や世界経済がどうなろうと増税を進めるのが当たり前という考えなのでしょう。前回の記事でも書きましたが、すでに前回の消費税増税が日本の消費を止めてしまったことは、はっきりしているというのに。
なぜ、彼らがここまで増税固執するのか、これまで色々考えてきましたし、このブログでもそのような考えを書いてきましたが、単なる個人的、組織的利害だけで本当にあれほどの固執が生まれるのかが、心に引っかかっていました。彼らが何らかの倫理的な正当性を持っていて、しかも実はそれが本当は間違っていると考えなければ、あのような間違いは説明できないでしょう。


先ほど述べた「節倹たれ」は、「市場の倫理」の中では間違いなく正しいものです。ただし「統治の倫理」に持ち込んではいけないものです。それを行ってしまったから、大災害の最中に「節倹」を実施して増税を行うことになってしまったのでしょう。
大災害の時は、「統治の倫理」の「気前よく施せ」が何よりも求められることでしょう。その正反対である「節倹たれ」を「統治の論理」と混ぜ合わせてしまったことが、あのような倫理的破綻の原因だと思います。
そのような間違いを犯し続けている勢力が、財務省を中心として、日本の政官財マスコミ、さらには経済学者まで広く及んでいます。現代の日本は、まさに「緊縮主義」という名の倫理的破綻に首まで浸かっているのです。人々を苦しめた日本の長期デフレ不況「失われた20年」もそのような倫理的破綻の結果として起こったものでしょう。


さらに恐ろしいのは、そのような「緊縮主義」という名の倫理的破綻に落ちいっているのは日本だけはないということです。ギリシャは長年経済危機に陥ってますが、昨年誕生した左派政権がきっかけで経済危機が深刻化した時、アメリカやIMFは債務減免を求めました。しかし、ドイツはそれに抵抗して、債務の減免を認めませんでした。*1このようなドイツの「緊縮主義」には、多くのEU加盟国も反発していますが、欧州最大の経済大国であるドイツには表立って逆らえません。
その後、欧州では難民の流入が深刻な問題になっていますが、その最大の入り口は他ならぬギリシャです。経済危機に陥っているギリシャには、難民の通過を抑える力はありません。本来ならば、難民問題の解決策として、ギリシャへの経済支援が再考されるべきなのですが、そのような話は全く出てこず、EUはトルコの民主化勢力弾圧を見逃して、トルコに難民問題への協力を求めています。
このような状況になっている原因も、ドイツの「緊縮主義」という名の倫理的破綻なのでしょう。おかげでEU内の移動の自由を保証したシェンゲン協定は有名無実となり、各国では極右勢力が台頭し、EUの理念も危機に陥っているのですが。


このように「緊縮」も「腐敗」と同様に、世界に大きな影響を及ぼす問題だと思います。そしてこの2つがどちらも「統治の倫理」と「市場の倫理」の混合による倫理的破綻として分析できることは、倫理体系の自覚的選択というジェイコブズが指摘した解決策が、非常に重要であることを示していると思います。
ただ、「腐敗」はこれまでも倫理的に大きな問題だと考えられていましたが、「緊縮」はそこまで大きな問題だとはみなされていませんでした。しかしこの2つが同じ原因を持つ問題であり、どちらも世界的に大きな問題を引き起こしていることを考えると、「緊縮」も「腐敗」と同じくらい、倫理的に大きな問題だと言えるのではないでしょうか。

3/21 補足

改めて文章を読み返してみて、説明不足だったところがあったので、ここで補足します。

まず、リーマンショックを招いたアメリカ金融業界の腐敗について、どのような倫理の混合が起こったのかについてです。本来、金融業界は「市場の倫理」に従うべきですが、そこに「統治の倫理」の「目的のためには欺け」が入り込んだのでしょう。具体的には「企業の利益のためには顧客を欺け」ということで、その「倫理」に基づいて「金融工学」がリスクを過小に見せることに悪用され(つまり、こんなことに「新奇・発明を取り入れよ」や「創意工夫の発揮」が使われて)、最終的には倫理の混合による破綻がリーマンショックという形で起こったのだと思います。

次に「節倹たれ」を「統治の倫理」と組み合わせた「緊縮主義」についてです。「節倹たれ」は「市場の倫理」においては「生産的目的に投資せよ」と結びつき、節約したお金は投資されるようになります。このような貯蓄の再投資が生産性向上につながり、長期的には経済を成長させる原動力となります。
しかし、「節倹たれ」が「統治の倫理」と結びついた場合、それだけでは再投資されることはありません。「統治の倫理」は占取(taking)に関する道徳ですから、国民から取った税金をひたすら貯め込むことになり、経済は停滞することになります。「財政再建」も財政赤字を減らすことですから、「国民から取った税金をひたすら貯め込む」のと同じ効果をもたらすでしょう。
ただ、実際には「統治の倫理」に「生産的目的に投資せよ」を組み合わせることもあります。「国有企業」がその典型例ですが、これは資本主義の中に部分的に社会主義を作るようなものなので、旧共産圏と同じような失敗をもたらすでしょう。実際にこれを行うと、「統治の倫理」の様々な項目に影響されて、結果的に「生産的目的」以外のところに投資されることになります。今、その悪影響が最も目立っているのは、やはり中国でしょう。あの国は非生産的な公共投資が大量に行われましたから。そのような投資は財政を悪化させるだけで、長期的な経済成長にはつながりません。

*1:もちろん、ギリシャ問題については、統一通貨ユーロによって各国が独自の金融政策を行えないことも大きな原因なのですが、それを和らげるためには、ユーロ圏内部で国境を超えた財政移転を行う必要があります。具体的にはこのような財政移転はドイツからギリシャへ行う必要があるのですが、ドイツはこれにも猛反対しています。

消費税率を5%に戻せ

政府は来年2017年4月から消費税率を10%にあげる予定ですが、最近、それに対する障害が強まってきたと思います。

一つは2月末に行われたG20財務相中央銀行総裁会議で、各国に財政政策の実施が求められたことです。消費税増税は「逆財政政策」というべき政策ですから、その実施は国際的に見ても困難になったと言えるでしょう。日本は5月に伊勢志摩で行われるG7サミットの議長国となりますから、その国がG20の決定をに反する政策をしていては、各国の批判を浴びるでしょう。

中国・上海で開いた主要20カ国・地域(G20)財務相中央銀行総裁会議は27日夕、市場の安定のために金融政策、財政政策、構造改革の「すべての政策手段を用いる」とする共同声明を採択し、終了した。中国経済の減速や原油安を起点とする市場の動揺に対し、G20が断固とした態度で臨むことを示すことで不安の沈静化を狙う。


G20が閉幕、市場安定へ「すべての政策」 共同声明  :日本経済新聞 G20が閉幕、市場安定へ「すべての政策」 共同声明  :日本経済新聞 G20が閉幕、市場安定へ「すべての政策」 共同声明  :日本経済新聞



また、国内でも消費税増税に対する反対は高まっています。日経新聞世論調査では、消費増税反対が58%と急上昇しています。

日本経済新聞社世論調査で、安倍政権の経済政策「アベノミクス」の評価がこれまでで最も低くなった。急激な円高・株安の進行などが背景にあるとみられ、追加の財政出動を伴う景気対策や2017年4月の消費増税の中止を求める声が多い。世界経済の不透明感が増すなか、安倍政権は経済成長と財政再建を両にらみしながら難しい経済運営を迫られている。


(中略)


 「新たな予算を追加して経済対策を行う必要がある」は47%に達し「必要でない」の35%を上回った。内閣支持層では58%、不支持層でも40%が「必要だ」と答えた。
 17年4月に消費税率を8%から10%に引き上げることに「賛成だ」が33%と、昨年12月の調査から9ポイント低下。「反対だ」は58%と11ポイント上昇した。


経済運営 一層難しく 本社世論調査、「消費増税反対」58%  :日本経済新聞 経済運営 一層難しく 本社世論調査、「消費増税反対」58%  :日本経済新聞 経済運営 一層難しく 本社世論調査、「消費増税反対」58%  :日本経済新聞



このような背景もあって、野党からの批判も強まっています。ただ、民主党は野田政権が消費税増税を決めたという事情もあって、はっきりと増税反対を打ち出すまでには至っていないようです。

 参院予算委員会は3日、安倍晋三首相と全閣僚が出席する2016年度予算案の基本的質疑を終えた。注目を集めたのは17年4月に予定する消費税率10%への引き上げ。経済の先行きが不透明だとして増税先送りも取りざたされる中、首相は「現段階では引き上げていく」と改めて強調。野党は首相の姿勢を相次いで批判した。7月の参院選をにらみ、与野党の神経戦が続く。
 共産党小池晃氏は3日、パネルを手に「消費税率を8%に引き上げて以来、個人消費は冷え込んでいる」と訴えた。消費税率を3%から5%に引き上げた1997年より、14年の方が家計消費の落ち込みが大きかったとして「増税をすべきではない」と強調した。
 日本を元気にする会の松田公太氏や、日本のこころを大切にする党の中山恭子氏も「個人消費の喚起が必要だ」などと増税反対で足並みをそろえた。首相が改憲勢力として期待するおおさか維新の会の片山虎之助共同代表も「税率を上げて税収が落ちるばかなことになる」と断言した。


消費増税巡り本格論戦 野党「消費冷え込み続く」/首相「現段階では上げる」 参院選にらみ神経戦 :日本経済新聞 消費増税巡り本格論戦 野党「消費冷え込み続く」/首相「現段階では上げる」 参院選にらみ神経戦 :日本経済新聞 消費増税巡り本格論戦 野党「消費冷え込み続く」/首相「現段階では上げる」 参院選にらみ神経戦 :日本経済新聞



このように内外で消費税増税への障害が強まる中、安倍総理や菅官房長官の発言にも変化が見られるようになりました。

 安倍晋三首相は15日、衆院予算委員会の経済と地方創生に関する集中審議で、2017年4月に予定する消費増税について「8%への引き上げで、予想よりもはるかに消費の落ち込みが大きく長く続いた。国民に納得していただき、消費への影響にも配慮しなければならない」と述べた。


来年4月の消費再増税、首相「消費への影響配慮」 日本経済は堅調の見方 :日本経済新聞 来年4月の消費再増税、首相「消費への影響配慮」 日本経済は堅調の見方 :日本経済新聞 来年4月の消費再増税、首相「消費への影響配慮」 日本経済は堅調の見方 :日本経済新聞

 2017年4月に予定する消費税率10%への引き上げを巡り、安倍晋三首相の発言が注目を浴びている。首相は増税を先送りする状況として「リーマン・ショックや大震災のような重大な事態」と述べてきたが、年明けから「世界経済の大幅な収縮」とも言い始めた。財務省内閣府は「増税の判断は変わらない」とするが、与党内では増税先送りや、夏の参院選と合わせた衆参同日選の臆測もくすぶる。


消費増税、首相発言で臆測 予定通りか再び延期か  :日本経済新聞 消費増税、首相発言で臆測 予定通りか再び延期か  :日本経済新聞 消費増税、首相発言で臆測 予定通りか再び延期か  :日本経済新聞

 菅義偉官房長官は26日午後の記者会見で、来年4月に予定される消費税率10%への再引き上げについて「税率を上げて税収が上がらないようでは、消費税を引き上げることはあり得ない」と述べ、増税による買い控えなどで税収減が予想される場合、見送りもあり得るとの認識を示した。


税収減なら消費増税見送りも=菅官房長官 (時事通信) - Yahoo!ニュース 税収減なら消費増税見送りも=菅官房長官 (時事通信) - Yahoo!ニュース 税収減なら消費増税見送りも=菅官房長官 (時事通信) - Yahoo!ニュース

 安倍晋三首相は3日の参院予算委員会で、2014年4月に消費税率を5%から8%へ引き上げた後の経済動向について「予想以上に消費が落ち込み、それが現在まで続いている。予想以上に長引いている」との見解を示した。


8%増税「落ち込み予想以上」=安倍首相 (時事通信) - Yahoo!ニュース 8%増税「落ち込み予想以上」=安倍首相 (時事通信) - Yahoo!ニュース 8%増税「落ち込み予想以上」=安倍首相 (時事通信) - Yahoo!ニュース

 安倍首相が、2017年4月の消費税率10%への引き上げを先送りする場合の状況について、「世界経済の収縮」を条件に掲げ始めた。
 これまでは「リーマン・ショックや大震災のような重大な事態」が起きない限り、予定通り実施する考えを強調してきた。与党内では「首相は軌道修正を図っている。再増税を見送る可能性が高まっているのではないか」(自民党中堅)との見方も出ている。
 首相は最近の国会審議で、予定通り税率を引き上げる方針を明言する一方、「世界経済の大幅な収縮が実際に起きているかなど、専門的見地からの分析を踏まえ、その時の政治判断で決める」(24日の衆院財務金融委員会)などと強調している。26日の衆院総務委員会でも、「株価、市場変動のみでなく、実体経済にどういう影響が出ているかも含め考えないといけない」と語った。年初から急激な円高、株安が進み、世界経済が不安定になる中、再増税を既定路線にしたくないとの思いが強まっているようだ。周辺には「消費税を8%に引き上げたら景気が冷え込んだ。上げなければ、税収は今頃もっと増えていただろう」と、半ば悔やむように語っている。


消費増税、先送りの兆候?…首相の発言に変化 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 消費増税、先送りの兆候?…首相の発言に変化 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 消費増税、先送りの兆候?…首相の発言に変化 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)



特に最後の記事では、安倍総理が消費税を8%に引き上げたことが景気悪化の原因で、引き上げなければ税収がもっと増えていた、つまり引き上げたために税収が減ったと語っています。国会審議では野党の追及を避けるために言えないことですが、内心ではそう考えているのでしょう。
消費税増税が決定される時、リフレ派は1997年の消費税増税で税収が減少したことを反対の根拠の一つにしていましたが、やはり今回も同じことが起こっているのかもしれません。


このように消費税増税への反対はどんどん強まっていますが、ただ引き上げを延期や中止するだけで良いのでしょうか?
確かに景気は日銀のリフレ政策のために、白川総裁時代よりは良くなっています。雇用は大きく改善して、失業率も下がりましたし、最近は正規雇用も増えています。
ただ、消費はまだ低迷したままです。「景気が回復しても実感がない」という声も大きいですが、そのことは消費の低迷という形で表れていると思います。ここを改善しないと、国民に景気回復の恩恵が及んだとは言えないでしょう。そして、そのような形の景気回復は長くは続かないと思います。だから、今のうちに消費回復の手を打たないといけないでしょう。


リフレ派の代表的なエコノミストである片岡剛士氏によると、消費低迷の原因が消費税増税であることがデータにはっきり表れています。

2016年1月の家計調査の結果が総務省から公表された。二人以上の世帯を対象とした結果をみると、実質消費支出は前年比3.1%減、前月比0.6%減とさえない動きが続いている。実質消費支出から世帯規模(人員)の変動の影響や、人口の高齢化の影響を除いて推計される消費水準指数(季節調整済)の動きをみても、2016年1月の結果は前月比1%弱の増加であって、水準は2015年10〜12月期の平均値にも届いていない(図表1)。2014年4月以降家計消費は停滞したままL字型のような形で推移し、2015年9月以降さらに減少傾向にある。2016年1月の持ち直しの動きも鈍いと言えるだろう。


[http://www.murc.jp/uploads/2016/03/kataoka160304_1.jpg:image]


以上は商品を購入する家計側から見た消費の動きだが、売り手側からみた消費もさえない動きを続けている。図表2は経済産業省「商業販売統計」と総務省消費者物価指数」から実質小売業販売額の動きを試算した結果だが、2016年1月は前月比0.8%の減少となり、2015年10〜12月の平均を1.8%下回る。


[http://www.murc.jp/uploads/2016/03/kataoka160304_2.jpg:image]


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消費の底割れ、リーマン・ショック以来


 前回のコラムで指摘したとおり、2015年10〜12月期のGDP統計から得られる民間最終消費の動きは、統計的に見て2002年1〜3月期から2012年10〜12月期における前期比0.2%増のトレンドから有意に下ぶれたことを確認させる結果となった。図表で見るとわかりやすい。青い実線は家計最終消費支出の実績値、黒い点線は2002年1〜3月期から2012年10〜12月期のデータから計算した傾向線(トレンド)、二つの赤い点線で囲まれた部分は、家計最終消費のトレンドが統計的に成り立ちうる範囲(95%信頼区間)を示したものである。


[http://www.newsweekjapan.jp/kataoka/kataoka160302-graph01.jpg:image]


 アベノミクスが開始された2013年以降の消費の動きをみていくと、家計最終消費支出はトレンドを示す黒い点線から上ぶれる形で推移して、2013年4〜6月期以降はほぼ赤い点線上限近辺で推移していた。これは、アベノミクスにより家計最終消費支出の拡大が生じ、それが2002年から2012年までの家計最終消費支出のトレンドから統計的に有意な形で上ぶれつつあったことを意味する。

 そして消費税増税の駆け込み需要が生じた2014年1〜3月期には一時的に上限を上回った。しかし消費税増税後には動きが一変する。今度はトレンドを示す黒い点線から実績値が下ぶれて推移して、ついに2015年10〜12月期に家計最終消費支出は下限を下回ってしまったのである。これは統計的にみて「消費の底割れ」が生じたということだ。

 図表にはリーマン・ショック直後と東日本大震災の家計最終消費の値を明示している。東日本大震災が生じた2011年1〜3月期の値は大きく落ち込んだものの、赤い点線の下限を超えて落ち込むという「消費の底割れ」はかろうじて避けられた。統計的にみて、家計最終消費支出の底割れが生じたのはリーマン・ショックから1四半期程度経過した2009年1〜3月期である。2015年10〜12月期の家計最終消費は2002年以降のトレンドで見て、リーマン・ショック直後以来2度目の「消費の底割れ」が生じていることを示しているのである。

 こうした動きが常態化してしまうと、家計最終消費支出のトレンドは下ぶれし、それが家計最終消費支出のさらなる停滞につながってしまう。2016年1月も2015年に引き続き低調な結果に終わり、その後も十分な回復が見込めない状況が続けば、家計最終消費支出は前期比0.2%増のトレンドから更に下ぶれる可能性が強まる。早期に対策を行うことが今求められているのである。


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このようにグラフを見れば一目瞭然で、消費税率を8%に引き上げたと同時に消費低迷が始まり、それが今までずっと続いていることがわかります。最後のグラフによると、現在の消費の低迷は東日本大震災の時よりもひどく、リーマンショック以来の水準であることがわかります。
安倍総理は「リーマンショックや大震災のような事態が起きない限り、消費税の再増税を延期しない」*1と言っていますが、消費の面から見れば、消費税増税自体がこれらの事態に匹敵する問題を引き起こしていると言えるでしょう。


そして片岡氏は、消費拡大のための政策として、消費税率を5%に戻すことを提唱しています。

消費拡大のための財政政策とは


 さて、先程述べた金融政策・財政政策のシナリオを考慮しつつ、家計消費を再拡大させるための財政政策はどうあるべきか。財政政策のメニューは、定額給付金社会保険料の一時的減免、低所得労働者を対象とする給付付き税額控除など様々なものが考えられるが、最も効果が大きいと考えられるのは「消費税減税」だろう。消費税減税のメリットは、簡明かつ現下の家計消費の落ち込みに直接影響を及ぼせることだ。わが国の総需要(実質GDP)と総供給(潜在GDP)の差であるGDPギャップは、内閣府の試算によれば7兆円弱のデフレギャップ(総需要不足)の状況にある。
 また図表における家計最終消費の2015年10〜12月期実績値と、2015年10〜12月期のトレンドとの差を計算すると、現状の消費をトレンドの水準まで復帰させるために必要な金額は8.1兆円だ。消費税率1%に相当する税収を2.7兆円とすれば、8%から5%への消費税減税の規模は8.1兆円(2.7兆円×3=8.1兆円)となる。以上からはデフレギャップを埋め、かつ「消費の底割れ」が生じている家計最終消費支出をトレンドに引き戻すためには8%から5%への消費税減税を行う必要があることがわかる。


 そして金融政策・財政政策のシナリオ、ポリシーミックスを考慮すれば、次のような政策を実行することが必要ではないか。


・日銀が2%インフレ目標を達成・安定化するまでの期間(具体的には2016年度、2017年度)の時限措置として政府は8%から5%への消費税減税(財政政策)を行う。
・日銀は展望レポートで示しているとおり2%のインフレ目標を2017年度前半中に達成することに全力を尽くす。なおインフレ率の基調判断は、消費税減税による物価押し下げ効果や原油価格の影響を差し引いた上で行う。
・2%インフレ目標達成から半年間の経過期間を置いてデフレからの完全脱却がなされたことが確認された場合、改めて毎年1%ずつのペースで消費税増税を行う。
・最終的に8%まで消費税率を戻しつつ、物価や経済動向を勘案しながら、日銀は段階的に出口政策に踏み込む。


 2年間の限定で消費税減税を行うために必要な財源は、8%から5%への引き下げの場合は累計16.2兆円となる。減税を行えば経済成長も高まり、デフレ脱却が進むことも相まって税収も増加することが見込まれる。合わせて外国為替特別会計に眠る内部留保(積立金)22.7兆円(2015年3月末時点)や、政府資産の売却を前倒しで実行していくこと、さらに長期金利がマイナス金利に突入する状況下ならば国債を増発して財源に充てることも検討に値するだろう。
 消費税増税社会保障の財源を確保することが目的だが、消費税そのものには、低所得者ほど負担率が高まる逆進性の問題や、消費税率を引き上げるたびに経済の落ち込みが深刻となる、税率を引き上げるほど益税に代表される税の不公平が助長されてしまう、といった様々な問題点を抱えている。社会保障の財源を消費税増税に頼るのではなく、経済成長による税収増や現行の相続税を廃止の上で新たに100兆円とも言われる相続対象資産に一律に20%の税率を課すといった対策を行えば、消費税率は5%据え置きでも問題ないと筆者は考える。こうなれば、消費税率を8%まで引き上げる必要もないため、日銀は財政政策の影響を考慮することなく、出口政策に集中することが可能となるだろう。


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現状の消費をトレンドの水準まで復帰させるために必要な金額と、8%から5%への消費税減税の規模が同じ8.1兆円というのは、出来過ぎなくらいの一致ですが、規模の面から見ても、今の消費低迷が「消費税で家計からお金を奪われている」ために生じていることを、示していると思います。
片岡氏は消費税の5%への減税を時限措置としていますが、デフレからの完全脱却がなされたことが確認されるまでは消費税増税をしないこと、別の方法で社会保障の財源が得られるのであれば消費税増税にこだわる必要はないことも主張しています。
僕はよほど景気が過熱しない限りは、これ以上の消費税の引き上げは止めて、経済成長や相続税など、別の方法で財源を確保すべきだと思います。そしてもし消費税を上げる場合でも、片岡氏が言うように1%づつの引き上げとするべきでしょう。消費税増税にはそのくらいの慎重さが必要だというのが、今回の消費税増税の失敗から学ぶべき教訓だと思います。


以前は、僕も消費税率の引き下げは困難だと考えていて、それ以外の財政措置で増税ショックを和らげれば良いと考えていました。*2ただ、そのような方法は一時的な措置になりがちですし、実際に予算の細部を決める財務省が、こっそり予算の効果を弱める工作をすることも考えられます。*3
だから、財務省の工作が不可能で、永続的な措置とすることも可能な、消費税減税こそが最も良い方法だと考えるようになりました。


安倍政権にとっても、野党が消費税増税見送りを主張している今となっては、見送りだけでは選挙に勝つための十分な優位は得られないでしょう。それを上回る消費税減税という政策を出してこそ、有利な立場に立つことができます。また、消費税減税という最良の財政政策を行うことは、世界経済の回復に対して日本が積極的に貢献していることを示すことになるでしょう。

もちろん、野党が先手を打って消費税減税を主張しても良いです。それで安倍政権が選挙に負ければ、消費税減税を受け入れざるをえないでしょう。
民主党馬淵澄夫氏は、すでに消費税の5%への引き下げを主張しています。このような意見を民主党執行部が取り入れてくれれば良いと思います。もっとも、民主党では消費税増税を決定した野田政権時代の幹部が今も大きな力を持っていますから、この馬淵氏の提言が受け入れられる可能性は高くないと思いますが。

また、争点設定もそうなると、現今の景気回復への足踏み状況から、「消費税」となることはほぼ間違いないだろ。
 消費税の再凍結。
 そして、さらに、引き下げへ。
10%引き上げは、凍結。これは当然やってくるだろう。そしてさらに、現行8%から特例2年間の5%への引き下げ措置。14年に上げた3%はやはり消費に大きなインパクトを与えてしまった。正直少し早まったといえる。従って、景気回復のために2年間の特例措置で5%へ引き下げる。というものだ。
 財政当局や財政健全化路線で洗脳されてしまっている輩は、猛然と反論するだろうが、政策オプションがさりとてない状況では十分考えられる政策だ。うかうかしてられない。
ダブル選挙は、憲法でも何でもなく、いきなり、消費税をどうするかという景気対策ど真ん中路線を、争点化される。のんきに構えている場合ではない。いち早く、民主党が、凍結のみならず引き下げまで検討、言及すべきだ。


消費税引き上げ凍結どころか引き下げへ: まぶちすみおの「不易塾」日記 消費税引き上げ凍結どころか引き下げへ: まぶちすみおの「不易塾」日記 消費税引き上げ凍結どころか引き下げへ: まぶちすみおの「不易塾」日記



この馬淵氏のような考え方が、与野党を問わず広がってくれることを望みます。
それが人々の生活を改善し、ひいては日本のため、世界のためとなる政策でしょう。

3/6 追記

今回の記事では消費税増税が消費に与える悪影響を中心に説明するため、片岡剛士氏の記事を紹介しましたが、以前からリフレ派は消費税減税が必要だという主張をしています。以下の2つの記事はどちらも2014年のものです。


田中秀臣氏(2014/11/17)

 さらに注目すべきは消費の弱さだ。第2四半期ほどの落ち込みではないが、それでもわずかにプラスになっただけだ。この背景には、消費増税によって実質所得が恒常的に減少している可能性がある。つまり多くの消費者は増税の効果が長期に続くと予想し、自らの財布のひもをきつく締め続けることを意味している。消費増税の悪影響が短期間のものではない可能性を示唆している。
 純輸出も弱く、政府最終消費支出も弱い。政府の財政政策は公共事業中心だが、その効果は乏しいものがある。むしろ消費増税の悪影響を取り除くためには、政府は実質的な減税政策(各種の所得補助金)を中心に行う必要があり、筆者の私見では消費再増税よりもむしろ消費減税が必要な局面とさえいえるだろう。
 雇用状況は堅調なようでいても、経済指標の性格から実体経済を遅れて反映する。このようなリセッションを放置していれば、やがて確実に雇用面にも深刻な影響を生じるだろう。


景気後退局面か GDP速報値大幅減が示唆 消費増税で深刻な経済悪化を招いた財務省の罪 | ビジネスジャーナル 景気後退局面か GDP速報値大幅減が示唆 消費増税で深刻な経済悪化を招いた財務省の罪 | ビジネスジャーナル 景気後退局面か GDP速報値大幅減が示唆 消費増税で深刻な経済悪化を招いた財務省の罪 | ビジネスジャーナル



高橋洋一氏(2014/9/18)

 ちなみに、筆者が潜在GDPを試算し、実際のGDPとのギャップを見ると図3の通りだ。


[http://dol.ismcdn.jp/mwimgs/f/7/600/img_f7a4496245b8a5b0b75828884bd90f4a33317.jpg:image]


 今のところギャップは12兆円ほどある。これは内閣府のものとほぼ同じはずだ。消費増税は駆け込み需要とその反動減、可処分所得の減少よる需要減を招いたが、上の図で、増税以前の傾向が続いていれば、いまごろは、需給ギャップがほとんどなくなっていただろうことも推測できる。

 昨年は、金融政策と財政政策を一体として発動したので、いい景気だったが、今年4月から、金融政策は同じだが、財政政策が一転して緊縮政策になったため、景気が低迷している。これをもう一度よくするためには、昨年と同じような政策が必要である。それは消費増税をなしとする政策である。

筆者はこれまでも言ってきたが、今となっては最善の手は、5%への消費減税。それができないときには、軽減税率を導入して、全品目5%の軽減税率の適用。それもダメなら、97年増税時には先行所得減税だったが、今回は事後所得税減税。それもできないなら、これまで増税した分をすべてはき出すような減税と財政支出だ。


日銀総裁の講演の疑問点を読み解く 景気後退への最善策は5%への消費減税|高橋洋一の俗論を撃つ!|ダイヤモンド・オンライン 日銀総裁の講演の疑問点を読み解く 景気後退への最善策は5%への消費減税|高橋洋一の俗論を撃つ!|ダイヤモンド・オンライン 日銀総裁の講演の疑問点を読み解く 景気後退への最善策は5%への消費減税|高橋洋一の俗論を撃つ!|ダイヤモンド・オンライン



消費税減税という主張が消費税増税の直後から出ていたことを、これらの記事は示しています。将来を的確に予想した記事だったと思います。

テレビ局は報道の自由を守るために周波数オークションを受け入れるべき

高市総務相が「政治的な公平性を欠く」放送に対して、放送法4条違反を理由に電波停止を命じる可能性に言及したことで、言論の自由報道の自由が脅かされるのではないかと懸念の声が出ています。
この問題を巡って様々な意見が出ましたが、僕が一番納得できたのは国際政治学者の三浦瑠麗氏の意見でした。

結論から言うと、言論の不自由さに対する懸念には一定の根拠があると思っています。しかし、その原因については、政権側の抑圧や、日本社会の保守化といった単純なものではないと思っています。足元で高まっている言論の不自由さは、日本社会の政治化という変化を反映した症状であると考えるからです。


日本的な権力分立の仕組み

欧米社会と比較した際に日本社会が際立っているのは、それが並立する「ムラ社会」のあつまりであるという点です。ムラとは会社であったり、業界であったり、地域であったりします。ムラ同士が交わることは少なく、個々人にとって「ムラ社会」の存在は圧倒的です。国民や市民という概念は、わかりやすいストーリーとしては存在しても、実際の社会的な単位としてはそれほど力を持っていません。個々のムラが縦割り的に存在し、それぞれの縦割りの中で秩序を保つための伝統と統治原理を育んでいるのです。

実は、この縦割り構造が日本の言論の自由においても重要な役割を果たして来ました。自民党に代表される日本政治の現場は昔から保守主義であり、権威主義でした。責任ある立場にいたことのあるジャーナリストの方に聞けば皆そう答えるでしょう。メディアをコントロールしたがるのは政治の本能のようなものです。その本質は何も変わっていません。

メディア業界が独自の「ムラ」として自律性を持っている限りにおいて、政治の介入を組織としてはねのけることができたに過ぎません。そして、その自律性はメディアの中で圧倒的な存在であったリベラルな価値観によって支えられていました。

政治と官僚の関係にも同様の構造が存在します。戦後日本のリベラリズムの原点にはGHQが主導した改革がありますが、霞が関のエリート達はその政策の忠実な承継者でした。政治的な介入を排除し、リベラルな法体系の下で漸進主義的に政策を実行していったのです。生存権を原理とした社会福祉の増進も、男女同権を原理とした女性の地位向上も、時間はかかったけれど戦後一貫して改善してきました。官僚機構というものは、軌道修正は苦手である代わりに、一定の方向に向かって少しずつ成果を出すことには向いているのです。

そんな中、近年変化したのは日本社会において政治化される領域です。日本は、過去20年の間の諸改革を通じて、一貫して政治的なリーダーシップを強化する方向に舵をきってきました。省庁を統合し、内閣府内閣官房の権限を強化したことで首相の権限は大幅に強化されました。小選挙区制を導入したことで、政党内で資金や公認権を握る執行部への権力集中が進みました。現在の首相は、かつてとは比較できないほど大きな力をふるうことができるようになったのです。

それは、国民が求めた変化でした。冷戦の終結バブル崩壊を経た90年代の日本は変化に対して極度に臆病になっていました。個別の「ムラ」の統治原理に委ねている限り、変わることは不可能と思われたのです。そこで採用されたのが、政治が関与する領域を拡大するという手段でした。独立性の高い社会が割拠する状態から、政治の大きな物語に基づく横断的な変化へと一歩踏み出したのです。

政と官との関係において、それは「政治主導」という物語でした。しかも、政治主導の内実は世論主導であり、メディア主導であることも多かったのです。政治とメディアとの関係では、政権に対する距離感でメディアがより鮮明に色分けされるようになりました。当然、政権に批判的なメディアに対しては政治の側からの圧力が増大します。それに対するメディア「ムラ」の抵抗力は弱まっていました。

政治の拡大によって物事が前に進んできたことも事実です。薬害との闘いも、無駄な公共事業の削減も、左派的なイデオロギーに支えられた外交政策の転換も、既得権益を排除するための制度作りも、そうして初めて可能になったのでした。その代償が、霞が関やメディアへの政治の介入を許したことでした。


メディア「ムラ」は民主的に統制されるべきか?―高市総務相の放送法発言問題 - 山猫日記 メディア「ムラ」は民主的に統制されるべきか?―高市総務相の放送法発言問題 - 山猫日記 メディア「ムラ」は民主的に統制されるべきか?―高市総務相の放送法発言問題 - 山猫日記



このように、メディア業界が日本的な独自の「ムラ社会」であり、その自律性を支えていたのが「ムラ社会」とは本来相容れないはずのリベラルな価値観であったというところに、日本のメディア業界の矛盾があるのでしょう。
しかし、国民の要求によって「ムラ社会」の力が弱まり、それに代わって「政治化される領域」が広がった結果、メディアへの政治の介入が起こってしまいました。メディアは報道の自由というリベラルな価値観を振りかざしてそれに対抗していますが、メディアの自律性を支えていた「ムラ社会」が弱体化しているため、効果的な抵抗ができないのでしょう。


ただ、三浦氏は「権力は「政治的中立」を判断できない」ため、政府による民主的統制をメディアに対して行うべきではなく、マーケットの中での競争によって不人気な番組やテレビ局を淘汰させることで、民意を報道に反映させるべきだと論じています。

権力は「政治的中立」を判断できない

話を言論の自由に戻しましょう。高市総務相の発言の問題の本質は、権力は「政治的中立」を判断できないという点にあります。百歩譲って裁判所が「中立性」の解釈者たりえたとしても、行政が判断権者である時点でその判断こそが中立性を欠いているのです。大臣は原理的に不可能なことを仰っている。それは、厳密な意味では放送法の規定自体が間違っているということです。日本の行政は「間違い」を改められないという掟をもっていますから、長らくこれは倫理規定であると解釈してごまかしてきたわけです。

そこに、法の原理に対する表層的な理解をもった政治家が現れ、法律を字句どおりに解釈することで影響力を発揮しようとした、というのが一連の発言の本質です。しかし、高市総務相自民党の政治家として特異な考え方を持っているとは思いません。保守政権の中で頭角を現すための、忠誠心競争に気を取られている傾向はあるのかもしれませんが。

そこにはあるのは、法の原理よりも統治者としての倫理を重視する発想です。現に、高市大臣は「私の時に(電波停止を)するとは思わないが、実際に使われるか使われないかは、その時の大臣が判断する」と言っています。徳のある倫理的な指導者として振る舞う「お上」による「さじ加減」に基づく人治・徳治の発想です。

もちろん、自民党の支持者の中にも、国民一般にも、そのような発想を受け入れる土壌が存在します。民主主義という制度が、政策の方向付けを国民の集合的な判断に委ねている以上、その判断が原則によって行われるのか、倫理によって行われるのかを問うことはできません。日本には中庸の道徳の伝統もあれば、喧嘩両成敗の知的DNAもあります。メディアが、とってつけたように政治問題について賛成と反対の立場を紹介するのは、サラリーマン的な事なかれ主義でもあるけれど、日本的な倫理的発想にも沿っているのです。


政治主導に不可欠なもの

したがって主権者である国民がどのような判断軸によって政治的意思を表明するかについて規定することは難しい。しかし、政治主導の暴走を避けつつ、適切に機能させるための仕組み作りを担うのはプロの責任です。

誤解のないように申し上げますが、私は、政治が介入する領域が拡大することそのものに反対ではありません。今日の世界にあって、個々の「ムラ社会」の掟に従って社会を運営することはできないからです。したがって、中選挙区制に戻すべきという懐古主義には与しません。また、知識人や専門家の意見がより尊重される「知性主義」を万能視する立場にも反対です。知性を尊重しない社会は不幸ではあるけれど、知性を主張する側に知性が備わっているのかという観点も重要だからです。

しかし同時に、私企業や、公共放送に対してすら、マーケットの中での競争(=視聴率やコアなファン層形成をめぐる)を超えて、民主的統制を、政府や国会を通じてやるべきだとは思っていません。なぜなら、大衆の集合的な意思をすべてに押し付ければ多様性はなくなり、尖った番組も作れなくなるし、カレーライスに激辛もスパイス風味もなくなり、すべてがマイルドなお子ちゃま味になってしまうようなものだからです。不人気な番組やTV局は競争の中で淘汰されるべきであって、それが正しい民意の反映のさせ方なのです。


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この意見を読んで僕が思ったのは、それならばテレビ局は電波帯域の周波数オークションを受け入れるべきではないかということです。

今の放送用電波帯域は、総務省の裁量によってテレビ局に割り当てられています。しかし、政府や官僚の裁量によって割り当てられた帯域は、裁量によって取り上げられる可能性を否定できません。高市総務相の発言はその可能性をほのめかしたものであり、それだけでもテレビ局に対する脅しとしての効果を持ってしまいます。だから、これだけ問題視されているわけです。だから、この問題の本当の原因は裁量による電波帯域の割り当てそのものでしょう。


この総務省による裁量を排除するためには、電波帯域を周波数オークション(公開入札)によって分配するのが良い方法です。テレビ局は公開入札によって、電波帯域の利用権をを期限付きで「買い取り」ます。その結果、電波帯域利用権は財産としての価値を持ちますから、もし政府が裁量によって「停波=電波帯域利用権の取り上げ」をするなら、それは財産権の侵害であり、テレビ局は巨額の損害賠償訴訟を起こすことができるでしょう。従って、政府はそのような訴訟を起こされることを恐れて、停波の可能性を口にすることも難しくなるでしょう。

もちろん、周波数オークションを導入すると、テレビ局は多額の電波使用料を政府に支払わなければなりません。それはテレビ局の経営悪化要因ですが、逆にそのことがテレビ局に利益を上げる必要性を認識させ、より視聴者の支持を得られる番組作りを促進することになるでしょう。また、コストばかりかかって人気がない番組を作る余裕はなくなりますから、テレビ局の経営も効率化されるでしょう。それができないテレビ局は、電波オークションで放送用の帯域を落札できなくなり、倒産や吸収合併を余儀なくされるでしょう。あるいはネット企業など異業種企業の傘下に入ることで資金を確保して、帯域を落札することも考えられます。このようなことを通じて、メディア業界はマーケットにおける競争に晒され、政府を通さずに民意が反映されるようになります。


ここで懸念されるのは、弱体化したとはいえ「ムラ社会」であるメディア業界が、「ヤミ談合」によって入札者や入札価格を操作して、電波使用料を抑えようとする可能性です。ただそれを行うと、停波の際に要求できる損害賠償額も少なくなりますから、政府は訴訟を恐れることなく停波の可能性をちらつかせ、メディアへの介入を強めるでしょう。従って、そのような「ヤミ談合」はメディア自身の首を絞める結果となります。


これまで日本の様々な領域にあった「ムラ社会」が弱体化し、「政治化される領域」が広がっていくのは、国民の要求によるものですから、この流れは変わらないでしょう。ただ、それによってメディアへの政治介入が強まるのは、悪い副作用だと思います。それを避けるためには、メディア業界がマーケットによる競争を受け入れ、政府ではなくマーケットによって民意が反映される報道機関になることが必要でしょう。周波数オークションはそのために不可欠な道具です。だから、テレビ局が報道の自由を守りたいのならば、周波数オークションを受け入れなければならないと思います。

メディア業界が掲げているリベラルな価値観は間違っていません。ただ、その価値観で閉鎖的な「ムラ社会」を支えてきたことに問題があったのでしょう。すでに「ムラ社会」の維持が困難になっているのですから、報道の自由を守りたいのならば、メディア業界はマーケットに身を委ねて、その結果を受け入れるべきです。周波数オークションの受け入れは、メディア業界が本当に「ムラ社会」を抜け出して、報道の自由を守る気があるのかどうかを判断する、リトマス試験紙となるのではないでしょうか。

なぜ中国の経済危機が起こったのか

昨年以来、中国では株価の暴落が繰り返されています。今年になってからも暴落が発生し、今年から導入したサーキットブレーカーが2度も発動されたため、慌ててサーキットブレーカーを停止するなど、市場の混乱が続いています。その影響は世界中に波及し、先進各国の株式市場も株安になっています。

このような混乱がなぜ起こっているのかを知りたくて、ここ数日、内外の様々な記事を読んでいましたが、十分納得できるものがなかなかありませんでした。その中で唯一納得できたのが、なんと夕刊フジの田村秀男氏の記事でした。

 年明け早々から株式市場はチャイナ・リスクで大荒れである。世界最大水準の中国債務は今後さらに膨らむ情勢なのだから、不安がグローバルに伝播してしまう。

 「中国、今年は改革の正念場に」(米ウォールストリート・ジャーナル1月4日付)であることには違いないが、習近平政権にとってはそれどころではない。

 中国金融のどん詰まりぶりを端的に物語るのは、中国人民銀行による人民元資金発行残高である。昨年後半から急減している。前年比マイナスは実に16年ぶりだ。

 人民銀行は2008年9月のリーマン・ショック後、元の増発に増発を重ね、国有商業銀行を通じて資金を地方政府や国有企業に流してきた。大半は不動産開発など固定資産投資に向けられ、国内総生産(GDP)の2ケタ成長を実現した。その結果、10年にはGDP規模で日本を抜き去ったばかりか、党中央は豊富な資金を背景に軍拡にもいそしんできた。東シナ海南シナ海などでの海洋進出はマネーが支えてきた。党の意のままにできる元資金こそが「超大国中国」の原動力だ。

 元膨張を支えてきたのはドルである。リーマン後の米連邦準備制度理事会FRB)によるドルの増発(量的緩和=QE)に合わせて、人民銀行が元を刷る。グラフはQE開始後、元資金のドル換算値がドル資金発行増加額とほぼ一致していることを示す。偶然にしては、でき過ぎの感ありだ。

 人民銀行は自らが定める基準レートで流入するドルをことごとく買い上げては元を発行する。買ったドルはゴールドマン・サックス、シティ・グループなど米金融資本大手に委託して米国債で運用するのだから、北京とウォール街の間には何らかの合意があったとしてもおかしくない。

 ところが、FRBは米景気の回復に合わせて14年初めごろから、世界に流れ出た余剰ドルの回収の模索を始めた。QEを14年10月末で打ち切った。さらに先月下旬には利上げした。バブル化していた中国の不動産市況は14年初めに急落、次いで上海株も15年6月に暴落した。

 中国からの資本逃避に拍車がかかり、人民銀行は外貨準備を取り崩して元を買い上げ、暴落を食い止める。それでも売り圧力は高まるばかりだ。元の先安予想がさらに上海株売りなどによる資本流出を助長する。





【お金は知っている】習政権にとって“人民元自由化”は自滅の道 日本としては大いに結構 (1/2ページ) - 経済・マネー - ZAKZAK 【お金は知っている】習政権にとって“人民元自由化”は自滅の道 日本としては大いに結構 (1/2ページ) - 経済・マネー - ZAKZAK 【お金は知っている】習政権にとって“人民元自由化”は自滅の道 日本としては大いに結構 (1/2ページ) - 経済・マネー - ZAKZAK

実はこの記事で一番重要だと思ったのは、人民元とドルの資金発行量増価額を示したグラフでした。リーマンショック以降、中国がドルに合わせて人民元発行を増やしてきたことがよく分かります。つまり中国は人民元をドルにペッグしていたことになります。この人民元の膨張こそが、ここ数年の中国経済発展の理由でしょう。
実は1980年台後半の日本のバブル景気も、日銀による金融緩和の結果でした。ここ数年、中国経済がバブルではないかと言われてきましたが、そのバブルの理由もこの人民元膨張だったのでしょう。
しかし、昨年に入ってFRBは利上げを模索するようになり、昨年末には利上げが行われました。そのためにドルの発行量増加は止まり、中国もそれに合わせて人民元の増加を止めることになりました。昨年、中国で株価が大幅下落してバブルが崩壊したのはそのためでしょう。日本のバブル崩壊も、日銀による金融引き締めが引き金になっています。
さらに中国ではインフレ率が低下し、経済成長率も下落しています。


その対策として、昨年8月、中国は人民元の切り下げを行いました。為替介入で人民元のレートを維持すると、金融緩和しても効果がなくなるので、これは経済学の教科書通りの政策です。
しかし、その結果資本流出が起こり、資本逃避の懸念が増してしまいました。そして今年の株安も人民元安と連動しています。

中国の通貨、人民元の対ドル相場が下げ止まらず、世界の金融市場を揺さぶっている。急激な元安は中国からの資本流出を招き、同国経済を一段と下押ししかねないとの懸念が広がっているからだ。7日の世界市場では株価が大幅に下落し、原油価格はリーマン危機後の安値を下回った。米国の追加利上げが予想されるなか、元安に歯止めがかかる兆しはない。


人民元安が市場揺らす 中国不安再燃、世界で株急落  :日本経済新聞 人民元安が市場揺らす 中国不安再燃、世界で株急落  :日本経済新聞 人民元安が市場揺らす 中国不安再燃、世界で株急落  :日本経済新聞



このように人民元の下落は景気を刺激するどころか、資本流出を招いて逆効果になっています。これはなぜでしょうか。
FRBがドルの発行量を増やしている間は、中国はドルに合わせて人民元を増やすことで、景気を刺激することができました。しかし、FRBがドルの発行を増やさなくなると、中国が人民元の発行を増やすためには、人民元を切り下げなければなりません。
しかし、中国経済外資を取り入れることでここまで成長してきました。外資はドルの資金量、つまりFRBの金融政策によって増減しますから、中国が金融緩和しても外資に影響を与えることはできません。もともとFRBQE終了と利上げで外資の引き上げが始まっていたところで、人民元を切り下げたため、さらに外資の流出を加速させてしまったのでしょう。これが今回の中国の経済混乱のメカニズムだと思います。


このような資金流出を恐れて、今後中国は人民元の切り下げには慎重になるでしょう。ただ、そうなると金融緩和もできなくなり、中国は財政政策や構造改革で景気を回復させようとするでしょう。
昨年末、実際にこのような報道がありました。

中国は、景気支援に向け、金融政策に柔軟性を持たせる一方、財政出動を拡大する。2016年の経済政策の優先課題を話し合う中央経済工作会議の決定事項を国営メディアが報じた。
発表された声明は「積極的な財政政策を強化し、穏健な金融政策を一段と柔軟にすることが必要」と表明。
財政赤字の比率を緩やかに引き上げるとともに、企業の負担軽減に向けた減税を行なうとした。
来年の成長率を「妥当な範囲」に維持するとしたが、詳細には言及しなかった。
政府はまた、インフラ向け支出を拡大するほか、低迷する不動産市場を下支えるため、住宅購入に伴う規制を緩和する。

<サプライサイドの改革>
中央経済工作会議では、新たな成長のけん引役の育成を支援するため「サプライサイドの改革」を推進し、過剰生産能力の削減や不動産の在庫の調整に取り組むとした。
関係筋によると、政府はサプライサイドの改革を推進する一方、需要の押し上げに向けた措置を講じる。
構造改革の断行には、一定の成長率の維持が必要」という。
関係筋はまた、中国、および世界経済は急激な落ち込みから低成長が長期間続く「L字型」回復となる見込みのため、「需要サイドの政策だけでは、景気支援は不可能」と語った。
また金融リスクへの対応をさらに進め、地方政府の債務リスクを効果的に抑制するとしている。
来年の経済政策ではデレバレッジを重視する方針も示した。


中国、穏健な金融政策に柔軟性が必要=中央経済工作会議 | Reuters 中国、穏健な金融政策に柔軟性が必要=中央経済工作会議 | Reuters 中国、穏健な金融政策に柔軟性が必要=中央経済工作会議 | Reuters

中国の政府当局者は欧米諸国がここ数年ほとんど役立ててこなかった政策を試そうとしている。国内のサプライサイド(供給側)を重視する経済改革だ。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のリンリン・ウェイ記者(北京在勤)は、中国政府が公表した2016年の同国経済の青写真には減税計画が含まれ、財政支出の拡大を押し進めた従来政策からの方針転換をうかがわせていると指摘する。青写真は企業のコスト負担引き下げも視野に入れている。


中国、サプライサイドの経済改革を重視 - WSJ 中国、サプライサイドの経済改革を重視 - WSJ 中国、サプライサイドの経済改革を重視 - WSJ


しかし、「穏健な金融政策」というのは、実際にはかつての日銀のような、"too littile, too late"な金融政策になるでしょう。経済成長が低迷し続ければ、いずれ財政政策も続けられなくなり、逆に増税などの財政緊縮に走ることになるでしょう。そしてサプライサイドの「構造改革」は、デフレやディスインフレの不況に対しては効果がありません。
かつて日本はこのような組み合わせの経済政策を行い、「失われた20年」を招いてしまいました。どうやら中国もその轍を踏みそうな状況です。

ただ、日本はアベノミクスで大規模な「異次元緩和」を行っても、外資の流出を心配する必要はありませんでした。日本の投資は、日本国内の資本で賄われていたからです。日本がこのような間違った経済政策をしてしまったのは、単に財務省、日銀、経済学会などの専門家が間違った理論を信じていたことと、財務省が財政危機を煽ることで利益を得る構造を作り出してしまったからでした。
しかし、中国は外資流出という実害があるために、金融緩和に踏み切ることができません。中国の経済専門家は正しい経済理論を使っても、問題を解決することができないのです。従って中国の経済問題は、日本以上に解決が困難でしょう。


今後、中国はかつての日本のようなデフレ不況に陥ると思います。しかも日本と違い、そこから抜け出す道はありません。中国はこのまま衰退し、「21世紀のアルゼンチン」となってしまうのかもしれません。
ただ、中国共産党がそれを座視することはないでしょう。経済政策で抜け道がないのならば、間違った道であっても軍事的な解決策を模索すると思います。そのような行動は、東アジアに安全保障上の危機を起こすでしょう。

日本はバブル崩壊から7年後に深刻な経済危機に陥りました。中国も同じペースで経済的に衰退するのであれば、2020年代前半には深刻な経済危機に陥るのでしょう。ちょうどその頃、今の習近平体制は政権交代の時期を迎えます。これまでと今後の中国の軍拡を考えると、中国で政治的な混乱と経済的な混乱が同時に起こるこの時期に、太平洋戦争にも匹敵する東アジアの危機が起こるのではないかと、僕は懸念しています。

財務省は弱体化しているのか?

あけましておめでとうございます。
このブログの更新をしないでいたら、いつの間にか年が明けてしまいましたw
せっかくの新年なので、最近気になっていることを書いてみたいと思います。


去年の後半、政府、与党、財務省はずっと軽減税率の問題で対立していました。

軽減税率そのものは、どの品目に軽減税率を適用するか、まともな基準を定めることができず、どのような線引きをしてもバカバカしい矛盾が生まれるという問題があります。例えば今回の軽減税率論議では食品が軽減税率の対象になりましたが、加工食品を含めるかどうかでずっと対立が続き、最後は安倍総理の裁定で含めることに決まりました。また外食は対象外になりましたが、コンビニのイートインやショッピングモールのフードコートのようにどちらにするのか曖昧な領域もあります。
また、軽減税率が特定の業界に対する利権分配として使われる恐れもあります。今回、論議の最後で新聞にも軽減税率を適用する話が急に出てきましたが、これは明らかにマスコミの反対を抑えるための利権分配でしょう。普段、安倍政権を支持してしている新聞も、批判している新聞も、この利権は同じように受け入れてますから、彼らが本当に国家権力と対峙する気があるのか、疑問に思ってしまいます。
さらに大きな問題としては、軽減税率が必ずしも低所得者の救済につながらないという問題もあります。軽減税率品目は低所得者高所得者も購入するため、低所得者救済としては効率的とはいえません。低所得者に払った消費税を払い戻す給付付き税額控除の方が良い政策だというのが、経済学者の間ではコンセンサスとなっています。


さらに言えば、今回の軽減税率論議は来年に消費税を10%に増税することが前提ですが、昨年の8%への消費税増税は未だに景気に悪影響を与えており、日銀の大規模な金融緩和や原油価格の低下にもかかわらず景気が回復しないのは、消費税増税のせいだと言ってよいでしょう。そんな時にさらに増税するのは大きな間違いであり、消費税増税は景気が過熱するまで凍結すべきでしょう。むしろ今の経済状況を考えれば、本当は税率を5%に戻すのが正しいでしょう。


ただ、この軽減税率問題における財務省の行動を見ていると、彼らが以前よりも稚拙な行動をとるようになっており、特に政策立案能力が低下してるように思います。
当初、財務省はマインバーを使って消費税を払い戻す「日本型軽減税率制度」を提案しましたが、この案は手続きが非常に煩雑な上、マイナンバーの漏えいというセキュリティ問題の存在や、データセンターの構築に数千億円という巨額の予算が必要になるなど、およそ現実的とは言えないものでした。

案の定、この制度は政府や与党から反対の集中砲火にあって撤回されてしましました。*1「この案は財務省も本気で出した案ではなく、本命は他にある」という観測*2もありました。

しかし、その後状況は財務省に不利な形になっていきました。まずこの反対の責任を取らされる形で、自民党内でも最大の財務省派であった野田税制調査会長が交代させられ*3、かつては独立王国とも言われた自民党税調は安倍政権の影響下に置かれました。
財務省は谷垣幹事長など残る財務省派議員を使って軽減税率の範囲を狭めようとしましたが、結局生鮮食料品に加えて加工食品も対象とする公明党の主張が通り、最後は逆に財務省固執していたはずの「財源論」を無視する財源の拡大までやったが、それも政府・与党にはねつけられ、全く影響力を与えることができませんでした。


以下の長谷川幸洋氏の記事は、財務省の凋落ぶりを手厳しく指摘しています。

消費税の増税に伴う軽減税率問題が決着した。最大のポイントは税率の中身もさることながら、政治的に首相官邸が党内の増税派と財務省に圧勝した点だ。これで安倍晋三首相は2017年4月に10%に引き上げるかどうか、完全にフリーハンドを握った形になる。

約3ヵ月にわたった攻防で、財務省は終始一貫して読み違いをした。

間違いの始まりは、唐突にぶちあげた増税分の一部を後で家計に戻す「還付金案」だった。これは理屈の上では低所得者対策として正しかったが、まだ始まってもいないマイナンバー制度を活用する問題点や根回し不足もあって、あっという間に消えてしまった。

財務省はその後も迷走を続けた。4000億円の財源枠にこだわるあまり、与党である公明党の政治的重さを測りかねて首相官邸の怒りを買ってしまう。最後は適用食品の線引きの難しさから財源を一挙に1兆3000億円まで拡大したものの、自分たち自身の大臣である麻生太郎財務相公明党の反対に遭って、これまた蹴飛ばされてしまった。

霞が関を仕切る財務省がこれほど無様な姿をさらしたのは、ほとんど記憶がない。あえて言えば、1994年の細川護熙政権で当時の大蔵省が小沢一郎新生党代表幹事(当時)と組んで導入を目論んだ「国民福祉税構想」の失敗に匹敵するのではないか。

情報収集力と要路(政府や与党幹部)に対する根回しの周到さにかけては霞が関、いや日本随一の財務省も「ここまで落ちぶれたか」と感慨深いものがある。

財務省がこの体たらくだから、自民党税制調査会の権威が地に落ちたのも無理はない。自民党税調は財務官僚が陰に陽に知恵袋、かつ手足となって動いていたからこそ、表舞台で権勢を誇ることができた。

ところが「裏舞台の司令塔」である財務省が肝心の政策立案で失敗した挙げ句、政治的パワーバランスを読み切れず、議論に説得力もないとなったら、党税調が力を失うのは当然である。どうして、こうまで失敗したか。遠因は昨年秋の増税先送り・解散総選挙にある。


財務省はなぜここまで落ちぶれたか 〜政策立案・根回しに失敗、議論も説得力がない 軽減税率をめぐって「大迷走」 | 長谷川幸洋「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] 財務省はなぜここまで落ちぶれたか 〜政策立案・根回しに失敗、議論も説得力がない 軽減税率をめぐって「大迷走」 | 長谷川幸洋「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社] 財務省はなぜここまで落ちぶれたか 〜政策立案・根回しに失敗、議論も説得力がない 軽減税率をめぐって「大迷走」 | 長谷川幸洋「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]


結局、昨年の消費税増税先送りで安倍政権に完敗した財務省は、その力の源泉であった政策立案能力もおかしくなり、「日本型軽減税率制度」のような実現性の見込みすらない案を出すようになってしまったのでしょう。財務省がこれだけの権力を握っていた理由は、政治家の代わりに政策や法案を作っていて、税制や予算に内閣よりも大きな影響力を及ぼすことができたからでした。その能力が落ちていることが明らかになった結果、これまで財務省に依存・協力してきた政治家たちの力も大きく落ちてしまったのでしょう。


これまで日本の緊縮政策の総本山であった財務省の弱体化が明らかになったことは、これからの日本の政治に大きな影響を及ぼすでしょう。これまで財務省がいつも持ち出していた「財源論」も、今回の軽減税率で無視されてしまいました。このことは、日本の財政政策を緊縮路線から転換させるきっかけになるかもしれません。その試金石となるのが、来年の消費税増税のさらなる先送りや凍結を行うことができるかという問題でしょう。
現在、日銀の大規模金融緩和の効果が、消費税増税によって大きく削がれていることを考えれば、緊縮財政の停止はデフレ脱却や景気回復にも大きな影響を与えることは間違いありません。ひいては、今後の日本経済がまともに経済成長するかどうかを左右する問題だと言えるでしょう。


だから、僕は今年も財務省の「弱体化」が今後も続くのかについて、注目していきたいと思います。財務省が力を失い緊縮政策が停止されることが、日本の未来を大きく開くことにつながると思うので。