Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

中国はいつまで高度成長を続けられるのか?

1960年代までの日本は平均で年率10%近い高度成長を続けていました。(56年度〜73年度の平均で9.1%)しかし1970年代に入ると成長率は大きく低下し、1970年代後半以降は平均で4%程度まで落ち込んでしまいました。(75年度〜90年度の平均で3.8%)*1
このように成長率が落ち込んだ原因として、一般的にはオイルショックが上げられています。しかし、1970年代以降、「国土の均衡ある発展」の名の下に地方への公共事業支出が激増し、その結果地方から都市への人口移動が止まったことが真の原因だという人もいます。例えば増田悦佐氏の「高度成長は復活できる」はそのような意見の代表でしょう。


高度経済成長は復活できる (文春新書)

高度経済成長は復活できる (文春新書)



どちらがより重要な原因かですが、オイルショックが終わった後も成長率が回復しなかったことや、第二次オイルショックでは成長率の鈍化は見られなかったことを考えると、「国土の均衡ある発展」政策が原因であると考えた方が適切だと思います。


さて、現在高度成長を続けているのがお隣の中国です。1991年から2004年の平均成長率は9.3%であり、これは日本の高度成長に匹敵します。*2しかしこの高度成長はいつまで続くのでしょうか?


胡錦涛体制になってからの中国は、「小康社会」(いくらかゆとりがある社会)を全国的に建設するという方針の元、「西部大開発」や「東北振興」を打ち出し、これまで沿海部に集中させていた投資を内陸部に振り向けています。
また中国では都市戸籍農村戸籍を区別し、人口移動を制限する政策のため、農村や内陸部から沿海部の都市への人口移動が制限されています。それでも沿海部に投資が集中していた時代は「盲流」や「民工」と言われた出稼ぎ者が流入していましたが、最近は内陸部の投資が増えたことで流入は止まっているようです。*3
このように、現在の中国では1970年代前半の日本で発生したことと同様の現象が起こっていると言えるでしょう。もし中国が日本と同じ道を辿るのであれば、近い将来、中国の成長率は大きく低下すると考えられます。


さて、日本の場合、成長率が低下した後も「国土の均衡ある発展」政策を改めよと言う声は大きくならず、低成長の元、地方への公共投資を続ける政策を取り続けました。日本の大都市は地方に利益を分配しても、なお日本経済を支えるのに十分な生産性を維持できたことが、その理由でしょう。
しかし、中国の沿海部の都市はそれだけの生産性を持っているのでしょうか?もし持っていないのであれば、成長率の低下と共に、沿海部から地方への投資を抑制せよとの声が上がるでしょう。
一方、内陸部はその声に反発し、内陸部への投資を続けるよう主張するでしょう。内陸部の投資が止まって失業者が増えれば、暴動が増えて大きな社会問題となりますから。
その対立を抑えるのは中央政府の役割ですが、胡錦涛体制は過去の体制のように十分な権力を掌握しておらず、今でも胡錦涛派と反胡錦涛派の政争が続いています。*4この政争には、上海や広東省といった沿海部の豊かな大都市や省も絡んでいるようです。


このような状況が続けば、中央政府は沿海部からは十分な税収を得られず、内陸部には公共投資を続けるという状況に陥るでしょう。その結果、財政赤字は際限なく膨れあがることになります。これを解消する手っ取り早い方法は政府が人為的にインフレを起こすことです。さすがに中国政府もこの方法には躊躇するでしょうが、他に方法がなければインフレを起こさざるを得ないでしょう。その結果、中国は成長率鈍化による高失業率と格差拡大、高インフレとその結果である通貨安、増え続ける財政赤字といった問題に苦しむことになります。
過去数十年の歴史でそのような問題に苦しんできた国の代表がラテンアメリカ諸国でしょう。特にアルゼンチンは20世紀前半には将来の先進国と期待されましたが、20世紀後半にはその期待を裏切り、ついには通貨危機を起こしました。21世紀初頭に将来の先進国だと期待されている中国が、100年前のアルゼンチンと二重写しに見えるというのは、皮肉な見方でしょうか?w


実際、中国のラテンアメリカ化を危惧する声は、時々新聞にも掲載されます。この読売新聞の経済コラムもその一例でしょう。


http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/ippitsu/at_ip_05072501.htm


中国と言えば永久に高度成長が続くかのように思われ、巨大市場として期待されたり、逆にその脅威が不安視されたりします。しかし、それらの意見には「中国の高度成長は長期間続く」という前提があるように思います。この前提は本当なのか、疑ってみることも必要ではないでしょうか?