Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

靖国神社は自衛隊員を祀らないのか?

東京財団前会長の日下 公人氏が日経BPで連載しているコラム「現実主義に目覚めよ、日本!」で靖国神社問題を取り上げていたのですが、その中に自衛隊員に関する部分がありました。


「心情」から語る靖国論(1)〜英霊の気持ち〜 現実主義に目覚めよ、日本!(第38回)


この話は防衛問題評論家の志方俊之さんから聞いた話として、このコラムの3〜4ページにかけて書かれているのですが、それによると自衛隊イラクサマワに派遣されたとき、隊員達に尋ねられた幹部が隊員達と一緒に靖国神社に行き、宮司に「わたしたちは靖国神社へ行けるんでしょうか」と聞いたそうです。
しかし宮司は「とんでもない、あなたたちが祭られるはずはないんです」と答えたそうです。その理由として宮司は、サマワには戦争に行くんじゃないんだから死んでも戦死ではなく事故死であると言ったそうです。
これに対して日下さんは「でも、宮司までがそんなことを言って追い払ってしまうとは、冷たいなとわたしは思った。」と書いていますが、僕もこの思いには同感です。
確かに政治的な理由で政府はサマワは戦地ではないとしていますし、憲法上の理由からサマワへの派遣は人道支援活動となりましたが、だからと言って彼ら自衛隊員が国のために命をかけて任務を行っていたことには変わりありません。
日本国憲法第9条を絶対視する左派や、憲法に従った意見を言わなければならない政府が「死んでも戦死ではなく事故死である」と言うのであればともかく、第9条に反対しているはずの靖国神社がそのような理由で自衛隊員を拒むというのは、筋が通らないと思います。靖国神社に参拝を行っている人たちも、そのようなことは望んでいないと思うのですが。
それから、このような態度は靖国神社の未来のためにも好ましくないと思います。すでにあの戦争から60年以上が経ち、戦没者の遺族や戦友も亡くなってきています。近い将来、戦没者を直接知っている人はいなくなるでしょう。そうなったとき、靖国神社を支持するのはイデオロギー的な理由による支持者だけということになります。そのような靖国神社の姿は一般国民の支持を得られないでしょう。
しかし派遣された自衛隊員の死者を受け入れていけば、今後も靖国神社は国のために命を犠牲にした方を追悼する役割を果たすことになります。そうなれば、一般国民の支持も得られるでしょう。
そこまで深く考えず、表面的な理由で自衛隊員の死者を受け入れないことは、靖国神社の自滅行為ではないかと思うのですが。