Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

靖国神社の経済学?

先日発表された麻生外務大臣靖国問題に関する私案「靖国に弥栄(いやさか)あれ」には、靖国神社が抱える問題の一つとして、収入の減少が挙げられています。

(2)戦死者慰霊の「民営化」をした弊害
 本来国家がなすべき戦死者慰霊という仕事を、戦後日本は靖国神社という一宗教法人に、いわば丸投げしてしまいました。宗教法人とはすなわち民間団体ですから、「民営化(プライバタイゼーション)」したのだと言うことができます。  
その結果、靖国神社は会社や学校と同じ運命を辿らざるを得ないことになっています。顧客や学生が減ると、企業や大学は経営が苦しくなりますが、それと同じことが、靖国にも起きつつあるのです。  
靖国神社にとっての「カスタマー(話を通りやすくするため、不謹慎のそしりを恐れずビジネス用語を使ってみます)」とは誰かというに、第一にはご遺族でしょう。それから戦友です。  
ご遺族のうち戦争で夫を亡くされた寡婦の方々は、今日平均年齢で86.8歳になります。女性の平均寿命(83歳)を超えてしまいました。また「公務扶助料」という、遺族に対する給付を受けている人(寡婦の方が大半)の数は、昭和57(1982)年当時154万人を数えました。それが平成17(2005)年には15万人と、10分の1以下になっています。  
戦友の方たちの人口は、恩給受給者の数からわかります。こちらも、ピークだった昭和44(1969)年に283万人を数えたものが、平成17年には121万人と、半分以下になっています。  
靖国神社は、「氏子」という、代を継いで続いていく支持母体をもちません。「カスタマー」はご遺族、戦友とその近親者や知友だけですから、平和な時代が続けば続くほど、細っていく運命にあります。ここが一般の神社との大きな違いの一つです。  
靖国は個人や法人からの奉賛金(寄付金)を主な財源としていますが、以上のような状況を正確に反映し、現在の年予算は20年ほど前に比較し3分の1程度に減ってしまっているとも聞きます。  
戦後日本国家は、戦死者慰霊という国家のになうべき事業を民営化した結果、その事業自体をいわば自然消滅させる路線に放置したのだと言って過言ではありません。政府は無責任のそしりを免れないでしょう。  
このことを、靖国神社の立場に立って考えるとどう言えるでしょうか。「カスタマー」が減り続け、「ジリ貧」となるのは明々白々ですから、「生き残り」を賭けた「ターンアラウンド(事業再生)」が必要だということになりはしないでしょうか。


「靖国に弥栄(いやさか)あれ」


このような財源の変化は靖国神社にどのような変化をもたらしているのかを、今回は考えてみたいと思います。


靖国神社のような宗教団体の経済的側面を論じるのに参考になる本として、中島隆信氏の「これも経済学だ!」という本があります。この本では第3章で宗教の経済的側面が論じられています。


これも経済学だ! (ちくま新書)

これも経済学だ! (ちくま新書)


この本によると、最初に宗教の経済的側面を論じたのは経済学の始祖と言われるアダム・スミスなのですが、彼は宗教団体が収入を得る方法としては、国家からの資金に依存する場合と、信者の自発的な布施や寄付に依存する場合を挙げています。前者の場合、教団は国家の保護の元にあるため、積極的に布教を行う必要がありません。一方、後者の場合は、教団は自由競争の元に置かれるため、積極的に布教を行って信者を獲得するようになります。
ただし日本の場合、江戸時代に仏教の諸宗派は布教を禁じられ、その代わり近隣の住民を檀家として登録するようになりました。寺院は檀家に対して葬儀や法事、仏教行事などの宗教的サービスを行い、その代わりに檀家から布施や寄付を得て寺院を維持するようになりました。その結果、寺院は新たな信者を教化することはなくなりました。その代わり、神社は地域社会の中心となり、今の戸籍や学校の機能も寺院が担っていました。
明治時代と共に戸籍や学校の機能は政府が果たすようになりましたが、庶民が名字を持った結果、檀家は家族墓を寺院に持つようになり、一方で僧侶が妻帯した結果寺院も世襲化するようになったので、寺院は墓を維持するための存在として、檀家に支えられるようになりました。


さて、靖国神社ですが、戦前は陸軍省および海軍省によって共同管理される国家の神社でした。従って国家からの資金に依存していました。この時代、靖国神社は国家のために命を捧げた戦没者を英霊として顕彰することが主要な目的だったと思います。
しかし戦後、独立した宗教法人となった結果、国家からの資金はなくなり、その代わり遺族や戦友からの寄付によって支えられるようになりました。遺族や戦友が靖国神社にまず求めたのは戦没者の慰霊であり、その結果、靖国神社は顕彰よりも慰霊を主要な目的とするようになったと思われます。現在の日本では、ほとんどの人が靖国神社の主要な目的は慰霊であると考えていると思います。小泉首相靖国神社に参拝する度に、慰霊目的であると発言するのも、そのような考えを反映してのことでしょう。
このように遺族や戦友によって支えられ、慰霊を中心とする靖国神社のあり方は、檀家に支えられる寺院のあり方に近いと言えます。


しかし麻生氏が指摘するように、遺族や戦友の方は次第に亡くなりつつあり、靖国神社への寄付金も減少しています。麻生氏が提唱する靖国神社の非宗教法人化は、靖国神社を再び国家からの資金に依存する存在に戻そうということでしょう。しかし今では国も靖国神社を慰霊の場とみなしています。そのためこの提案が実現しても、靖国神社が再び顕彰を主要な目的とすることはなく、慰霊を主要な目的とし続けるでしょう。
一般に宗教団体が資金を国家に依存すると、そこに安住して保守化するようになります。そのため靖国神社が非宗教法人した場合、儀式や思想に宗教性が色濃く残ったとしても、国によって定められた慰霊という機能を淡々と行うようになるでしょう。その結果、靖国神社は麻生氏が求める「静謐(せいひつ)な祈りの場」となっていくと思います。


しかし、靖国神社が非宗教法人化を拒否する可能性もあるでしょう。今の靖国神社東京裁判否定論を掲げていますが、政府は日米同盟を維持する方針ですから、アメリカが主導した東京裁判を否定することはできないでしょう。政府も宗教の儀式や施設(鳥居、拝殿など)では妥協できるかもしれませんが、この点だけは現在は譲れないと思います。その結果、政府と靖国神社が袂を分かつ可能性もあると思います。
その場合、靖国神社は遺族や戦友に代わる収入源を見つけなければいけないことになります。靖国神社は宗教団体ですから、信者から収入を得るのが最も自然な形でしょう。8/15のエントリーで述べたように、靖国神社の主張を信じる者は信者と見なせますから、靖国神社は彼らから収入を得ようとするでしょう。直接彼らに寄付を求めても応じるかどうかは分かりませんが、例えば創価学会のように「信者」向けの出版事業を収益源とすることはできるかもしれません。そのような事業が成功すれば、靖国神社は今後も安定した収入源を得られるようになり、非宗教法人化を拒否する財政的基盤を得ることができます。
このように靖国神社がその収入を「信者」に依存するようになった場合、靖国神社はどうなるでしょう。彼らは慰霊目的で靖国神社を支えるわけではありません。彼らが靖国神社に求めるのは、大東亜戦争肯定論や東京裁判否定論、皇国史観といった復古的な思想の拠り所としての存在でしょう。靖国神社もそのような機能を果たそうとするでしょうから、そのような復古的な思想の色合いを強めることになります。一方でこのような思想はナショナリズムの色合いも強いですから、靖国神社は政治に働きかけてナショナリズムを強めようとするでしょう。その結果、靖国神社は、アメリカのキリスト教原理主義派やイスラエル宗教政党のような、宗教右派と呼ぶべき存在になっていくと思われます。
このような宗教右派的な思想が将来の国民の間に広まれば、その時は政府も無視できなくなるでしょう。その場合、政府は日米同盟との間で板挟みになり、判断に悩むことになるでしょう。
一方、このような思想が広まらなければ、靖国神社は少数派に留まり、一部の右派にだけ支持される宗教として存続するでしょう。そのような宗教は一般の国民からは乖離し、やがて「靖国教」とでも言うべき存在になると思われます。
いずれの道を選ぶにせよ、現在は靖国神社にとって終戦時に並ぶ大きな転換点だと思います。


このように靖国神社の変遷を見ていくと、国家に支えられる宗教から檀家制度に似た宗教、そして「信者」に支えられる宗教と、宗教団体としては次第に自立していく傾向にあると思います。麻生氏の提案は表面的には非宗教化に見えますが、実際にはこの流れを止め、再び国家に支えられる宗教に戻そうという動きなのでしょう。この提案に対する靖国神社の返答は、靖国側が本音でどれだけ国の干渉を嫌っているか、言い換えれば宗教としての自立傾向がどれだけ強いかで決まるのだと思います。