Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

日銀が楽になる方法

 もう何だか疲れてしまってあまり書く気もしない、というか民主党に付き合うのもバカらしくなってきたのだが、正副総裁人事はどうなるんでしょうか。白川総裁は決まるとしても、渡辺副総裁に不同意とはよく分かりません。ちらちらニュースを見ていたのだが、民主党議員らの物言いは、雰囲気的には渡辺さんでいいみたいな感じだったのだが、さきほど「不同意」との決定で、激しく脱力でありました。
 民主党中央銀行の独立性を尊重する、とか言っているが、これだけ人事に(不同意で)介入するのは立派な独立性の侵害だと思うが。たまには誰がいいのか、名前を挙げてみたらどうか。政権を担える力量を見せて欲しい。
 私は、政府が最初に提示した案が今でもバランスが良いと思っている。これは日銀マン&ウーマンらもそうであろう。
 その他の雑感。
・ネジレ国会によって漂流した総裁人事の着地に一番当惑したのは白川さん本人であろう(まあ、ご本人としては頑張るしかない、と覚悟されていると思うが)。
・巷間いろいろと伝えられる日銀OBらの動きはろくでもないと思った。雑音にしかなっていない。
民主党、総裁の若返りを狙っていたなら、最初からそう言えばいいのに。
民主党、「理由はない。とにかく財務省はダメだ」ということなら、最初からはっきりと「宣言」という形で出すべきではないか。
・日銀、これから民主党と付き合うのは大変ですね。同情します。
・やっぱり無能なる味方は有能なる敵よりも害が大きい。


追記 bewaadさんのこちらのエントリーに大きくうなずいているのは当の日銀マン&ウーマンではないかと思いました。

正副総裁人事、これで決まるかと思いきや…=何だかもう疲れましたね : 本石町日記



中身は読まなくても判りますかそうですか(笑)。


○一連の騒動は日銀にマイナスとしか思えませんが


日銀ケシカランという人たちの手にかかるとどうも一連の騒動も日銀ウハウハみたいな読み方をされるみたいでございますが、bewaadさんが『日銀陰謀論は止めましょうよ。』というエントリーをあげておられました。


http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20080408/p1


マリアナ海溝よりも深く同意するものであります。


別にあたくしや本石町日記さんだけじゃなくて、概ね金融市場にいる人たち的に多く言われているのは当初案の「武藤総裁、白川、伊藤副総裁」の組み合わせだと近来まれに見るほど日銀の対外的な説明力(というか説得力というか)がアップして、「独立性」(という言葉の定義が微妙なのでカッコ書きで、まあニュアンスとしての独立って感じかなあ)を持った日銀になれたという評価だったと思うのでありますよ(昨日本石町日記さんのところにちょっとコメントしましたけど)。


そして、伊藤隆敏先生がボードに加わることで、実務との折り合いをつけながらよりロジカルな金融政策の枠組みの構築ができれば尚のこと素晴らしいと思いまして、日銀ウォッチも楽しくなった(いや今のメンバーだと詰まらんという意味ではないですよ^^)と思うのでありますが。


というわけで、日銀陰謀論は無いでしょというか、一連の騒動で日銀は思いっきりケチがついてしまった訳でありまして、民主党の諸兄は日銀通りで全員切腹して詫びるべきものとしか思えないのでありますが。日銀ウハウハというのはあり得ないでしょ。独立性がどうのこうのと言ってる連中が日銀に傷をつけまくりってもう悪い冗談としか思えません。

今朝のドラめもん「民主党逝って良し」 (2008/04/09)



僕がいつも参考にしていただいている日銀ウォッチャーの本石町日記さんとドラめもんさんが、昨日ここで紹介したid:bewaadさんの記事に賛同して、今回の民主党の行動を嘆かれています。(同時に私も批判されているのでしょう)
お三方に共通する意見として、今後日銀が国会(特に民主党)へ対応することの困難さを懸念されているようです。


そこで、日銀の国会対策を大きく低減できる方法を考えてみました。それは日銀の「独立性」の内容を見直すことです。
中央銀行の「独立性」については、それが金融政策の手段だけの独立なのか、それとも手段と目標の双方の独立なのかについて、議論があります。もし「独立性」が手段と目標の双方の独立なのであれば、中央銀行は政府の意向とは関係なしに金融政策を行うことが出来ます。一方、手段だけの独立であれば、目標については政府と中央銀行が共有することになり、具体的には両者が政策協定を結んで目標を定めることになります。
現在の日銀は、中央銀行の「独立性」は手段と目標の双方の独立だという立場です。これに対しては、民主的な方法で選ばれていない中央銀行が、単独で金融政策の目標を決めるのはおかしいという批判があります。
このような批判を押さえるためには、日銀は常にそのような目標を定めている理由を国会で説明しなければならないでしょう。そのような理由に納得できない議員は、徹底的に日銀を追求することになります。そのため、日銀は国会対策に大きなコストを費やすことになります。
ここで、もし日銀が、中央銀行の「独立性」は金融政策の手段だけの独立であると、立場を変更すればどうなるでしょう?この場合、金融政策の目標は政府と日銀が政策協定を結んで定めることになるので、国会の追求も政府と日銀の双方に向けられるでしょう。しかし、野党にとっては日銀を追求するよりも政府を追及した方が政治的な効果が大きいので、野党の追及はもっぱら政府に向けられ、日銀の国会対策コストは大きく下げられると思います。


今回の日銀政局で総裁空白を招いたことへの反省から、現在、日銀法改正が検討されています。その改正の際、中央銀行の「独立性」を金融政策の手段だけの独立であると明記し、政府と日銀が金融政策目標に関する政策協定を結ぶことを義務づければ、上で述べたようなことが起こり、日銀は国会からの追求の矢面に立つことを防げると思います。


考えてみれば、握った権限が大きいほど、背負わなければならない責任も大きくなり、外部からの批判も大きくなるのは、この世の習いです。だから、もし日銀が国会からの追求を避けたいのであれば、その権限を縮小することが最も効果的な方法でしょう。日銀の場合、権限縮小の方法として最も筋が良いのは、金融政策目標の独立性を放棄し、政府との間で共有することだと思います。
白川総裁も、今後の日銀の対応について思い悩むのであれば、いっそのこと権限を手放してみてはどうでしょうか?そうすれば、本来やるべきではない国会対策などに煩わされることもなく、中央銀行本来の仕事に専念できると思うのですが。