Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

「WaiWai問題」を批判する「主婦」の背景を考えてみると

まとめサイトによると、事件の初期の頃、火種となった問題記事に対して、不快であるとして毎日に抗議のメールを送ったのは女性であった。女性にとってはきわめて不快な内容の記事なのだから、たとえ直接相手に触ったり脅したりしていなくても、職場に女性のヌードポスターを貼ったらセクハラ、というのと同じレベルのセクハラ行為なのだ。毎日はこれを無視したわけだが、それは女性から見れば「まー、いーじゃないの、○○チャン、こんなことぐらいで騒ぐと、お嫁にいけなくなるよー。わはは。」などとのたまう「セクハラに無頓着なオジサン」という構図に見える。


抗議行動が盛り上がったのは、2ちゃんねるの中でも「既婚女性板」*1というものらしい。また、今回、毎日の公表した自己調査の結果が間違っていた、という11年前の新聞記事という物証を図書館のマイクロフィルムから探し出してきたのも、この板の住人だそうで、すなわち「主婦」だろう。*2 *3 毎日新聞に広告を掲載している、数多くの日用品・食品・自動車・保険・携帯電話・書籍・・・などなどの会社の大事なお客様であり、家庭の財布の紐をにぎっている「主婦」なのである。


毎日の「君臨派」の頭の中では、広告スポンサー企業に電凸している人々は、「ニートのキモヲタ男」のイメージじゃないかという気がするのだが、実はその実態は「奥様方」なんじゃないだろうか。少なくとも、相当の数の「女性」「お母さん」たちが本気で怒っていて、本当にダメージのある行動をしているのはこの方たちなんじゃないか、と私には思える。*4

毎日新聞問題は「セクハラ問題」であるとの認識 - Tech Mom from Silicon Valley



海部美知さんの記事で、毎日新聞の「WaiWai問題」で、抗議の中心になったのは主婦であり、毎日新聞の記事はセクハラ行為に当たるとの指摘がありました。
この見方は僕も妥当だと思うのですが、これに加えて主婦の抗議活動がこれほどまでの広がりや影響を持った背景として、「良識」というものがあったのではないかと思うのです。


WaiWai」で取り上げられたり歪曲された記事は、元々風俗系のメディアや業界で語られていたものであり、そのような記事は最初から良識なきものと見なされていたでしょう。従って、それを長年掲載していた毎日新聞もまた、今回の問題では良識がないメディアであると見なされることになり、良識ある人々の怒りをかき立てる結果となりました。電凸を受けた企業が広告を引き上げたのも、自らが良識なき企業であると見なされることを怖れたのが一番大きな理由でしょう。(広告費を削減したい企業にとっては「渡りに船」だったという指摘もありますが、それは2番目以降の理由でしょうね。)


一方、毎日新聞は「ネット君臨」の特集でも見られるように、ネットを良識なき世界であると考えていたと思います。「ニートのキモヲタ男」というのは、「良識がない奴」のイメージを具体化したものでしょう。だから「良識がない奴」であるネットがいくら文句を言ってきても、良識ある毎日新聞に広告主や読者は就いてくるはずだと思いこんでいたのだと思います。


しかし実際には、「WaiWai問題」を存在を知ったとき、人々が「良識がない奴」と見なしたのは、ネットではなく毎日新聞でした。その結果、良識がない毎日新聞に対する批判は止まることを知らず、ネット発の批判としてはこれまでにない影響を与えることになったのだと思います。


そう考えると、毎日新聞がまず行うべき事は、自らが良識を備えたメディアであることをその行動で示すことだと思います。自らが良識を失っていたことを素直に認め、そのようなことをした責任者は(例えそれが社長であっても)厳しく処分し、風俗関係を思わせるような記事は二度と扱わないようにすれば、自ら良識があると任ずる人たち(社会で大きな影響力を持つ人の大多数はそうでしょう)は、毎日新聞を許すでしょう。
そうでなければ、毎日新聞に対する批判はWaiWai問題を超えて広がっていくことになり、毎日新聞は永遠に良識なき新聞というレッテルを貼られることになるのだと思います。


ただ、このような良識を根拠にした批判というのは、ネットの側にとっても痛いところがあり、例えば児童ポルノ(特にマンガやアニメ、ゲーム)規制や、携帯電話やネットのネガティブ情報規制の問題については、今回毎日新聞を批判した「自ら良識があると任ずる人たち」は、ネットの批判に回る可能性が高いでしょう。ネットを厳しく批判した「ネット君臨」の記事についても、このような人たちは毎日新聞を支持する立場に立つかもしれません。
だから、ネットにとっても単純に毎日新聞の苦境を喜んでいれば良いわけではなく、今回のような批判がネットに対して加えられる可能性についても、考慮しておく必要はあるでしょうね。そして、政治がそのような声によって動かされ、ネットや表現の自由に対する規制が強まる可能性は、警戒しなければいけないと思います。