Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

忌野清志郎のこと

すでに様々なニュースで報じられているように、ロックミュージシャンの忌野清志郎氏が亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。

その件について、雪斎さんがブログで触れられていました。

■ 忌野清志郎さんの訃報に接する。
 ただし、雪斎は、ロック系の音楽は余り聴かない。
 昔、TOKIOが出ていた番組で、無名のストリート・ミュージシャンに変装して、オーディションを受けていたの見たことがある。当然、オーディションを通過するのだが、あとで正体がばれて大騒ぎと相成る。横綱が序の口の土俵に上るようなものだから…。
 その後、「君が代」をロックで歌うということをやる人物だと知った。
 「無茶苦茶なひと」だと思った。

「いいひと」と「無茶苦茶なひと」: 雪斎の随想録



僕は昔はロック系の音楽に浸っていて、忌野清志郎のファンでもあったのですが、ずっと彼の音楽を聴いてきて抱いた印象は、外見や行動とは逆に、とても音楽に対して真摯な人だったというものです。*1
特に歌詞を大事にしていたという印象がありました。あくまでも自分の目で見て、頭で考え、心で感じたことを、時に簡潔に、時に巧みに、そして時にユーモアたっぷりに歌詞として表現していました。そして曲を歌うときにも、非常に歌詞は聴き取りやすく、心に入ってくる歌い方だったと思います。*2
また、日本語をロックに乗せる方法を確立した一人でもありました。今から考えられると信じられない話ですが、彼がデビューした頃は、まだ「日本語でロックはできるのか」という論争が盛んに行われるほど、日本語とロックの相性は悪いと考えられていた時代です。彼は日本語という言葉に対しても真摯だったのでしょう。


もちろん、「無茶苦茶」で「反骨」なエピソードも多い人でした。僕の印象に残っている例をいくつか挙げてみます。

  • 1988年発売のRCサクセションのアルバム「COVERS」に反原発の内容の曲が入っていたとして、東芝EMI原発メーカーでもある東芝の子会社)から発売を拒否され、別のレコード会社(キティレコード)から発売された。
    • このアルバムは非常に風刺性が強く、原発反核反戦ばかりではなく、大韓航空機爆破事件をテーマにした曲まで入ってる。
  • ところが、その翌年にはこの事件を皮肉ったアルバム「コブラの悩み」が、東芝EMIから何故か無事発売された。
  • さらにその後、覆面バンド「タイマーズ」として活動。ゲリラ的なライブ活動を繰り返す。
  • タイマーズ」は1994〜5年頃に復活し、北朝鮮ネタなどの「危険な」ネタを交えて、再びゲリラ的な活動を行う。

死去に伴い1999年に発表した「君が代」が再び取りざたされているようですが、あの曲もこういう活動の流れなのでしょう。
ただ、このようなエピソードも、自分の目で見て、頭で考え、心で感じたことを、音楽や行動で表現し、それを阻むタブーに挑んだ結果だったと思います。国家や大企業ばかりでなく、レコード会社やマスメディアとの衝突も多い人でした。


このような音楽に対する真摯な姿勢と、タブーに対する反骨精神によって、忌野清志郎は「キング・オブ・ロック」と称えられることになったのでしょう。
真摯な姿勢と反骨精神、これはミュージシャンのみならず、どの分野の表現者であっても、大成するためには必要なものでしょう。もちろん、雪斎さんが活躍する言論界も例外ではないと思います。


蛇足ですが、考えてみればリフレ派というのも、日銀や財務省や、彼らに阿る「エコノミスト」に対する反骨精神が強いですね。やはり世の風潮に異議を申し立てるときには、反骨精神というのは大切なものなのでしょうね。

*1:ただ、今から振り返ると、まだ未聴の曲やアルバムも多いのですが。また捜してみるかなあ。(^^;

*2:ロック系の音楽では、サウンドを重視する余り、歌詞が聴き取りにくいミュージシャンも少なくないのです。