Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

文化大革命とルワンダ大虐殺

少し前の話になりますが、「溜池通信」の4/27の「かんべえの不規則発言」に、中国の文化大革命に関するこんな話がありました。

<4月27日>(日)


(中略)


○かつて熟年の中国人学者に向かって、文革時代のことを尋ねたことがある。知りたかったのは、当時の情報伝達手段が何であったかであった。ワシ的にどうにも腑に落ちなかったのは、あれだけ広大な中国全土の至るところで、見事に同じような騒ぎが一斉に起きたことである。どうしたら、あんなことが可能だったのか。おそるおそる聞いてみたところ、その夜、お酒が入っていたせいか、学者氏の口はなめらかだった。


○「ラジオでしたね」と彼は言った。「今晩、毛沢東主席の重要演説がある」という噂が、ある日、町中に広がったのだそうだ。その夜、大勢の大人たちがラジオの周りに集まって演説を聴く。当時の学者氏はまだ少年なので、どんなことが語られているのかは分からない。が、その翌日になると、隣の地方で起きたのと同じような暴動が発生した。そんな風にして、瞬く間に中国全土に騒ぎが広がっていったのだという。少年時代の学者氏にとって、それがどんなに怖い体験であったかは容易に想像がつく。今の中国でも、一定年齢以上の人たちは、その恐怖の記憶を共有しているはずである。


○そういう話を聞くと、ますますわけが分からなくなる。たかがラジオだけで、それだけ深い情報伝播が可能なんだろうか? かつてのドイツ人はヒトラーの演説に興奮したというし、日本人は玉音放送に涙したと聞く。だが、ラジオの声を聞いただけで、人々が日常の生活をすべて放り出して、翌日から打ちこわしを始めるというメンタリティは、どういう構造になっているのだろう。人間はそこまで、情報に左右されてしまうものなのだろうか。


○以下はワシの勝手な妄想である。おそらく中国人同士の間のコミュニケーションというものは、われわれの想像を超えたような深さを秘めているのであろう。漢字という表意文字だけを使った言語の中には、あまりにも広大な暗黙知が共有されていて、ときおり何かのスイッチが入ってしまうと、ひとつの方向に走り出すと止まらなくなってしまう。実は文革当時の騒ぎというのは、この国が太古の昔から続けてきた多くの農民蜂起(陳勝呉広の乱とか、太平天国の乱とか)と同じ構造を持っていて、それはインターネット時代の今日に至っても失われていないのではないか。


北京五輪チベット問題になると、内外の中国人が一斉に同じような意見に染まってしまう様子は、なかなかにおっかないものをはらんでいる。何しろ在外留学生たちが、大きな旗を担いで長野に参集してしまうのだから。確かに大使館が動員したり、煽ったり、便宜供与を図ったりしているのだろうけれども、彼らの行動が自発的であることは間違いがない。マイクを向ければ、ものの見事に全世界で同じような答えが返ってくる。その一方で、おそらく彼らの心の奥底には「これはマズイ」という思いがあるのではないか。


○少なくとも、中国共産党内部にはそんな自覚があって、「長野の聖火リレーが荒れて、反日デモが起きたら困る」と真剣に考えたらしい。直前になって、ダライ集団との対話を打ち出したのは、「ほかはともかく、長野は困る」という思いがあったからだろう。反フランスと違って、反日運動は本気で火が点いてしまいかねませんから。土曜日の聖火リレーは、日中両国政府がやっとの思いで無難な線で押しとどめた、という気がいたします。


○正直なところこんな風な解釈をするのは、かつてアメリカで流行った「日本異質論」と似たりよったりの胡散臭さを感じるので、自分でもあまり気が進まないのです。それに、「元・中国人」たる台湾の人々は、今度の事件ではまるで同調していませんし。とはいうものの、日本における「反中勢力」が、何でもかんでも「江沢民の愛国教育」のせいにしてしまうのは、いささか乱暴だと思うのですよ。「教育とはむなしいものだ」というのは、ワシが持つ確信の中でももっとも強いもののひとつなのである。

かんべえの不規則発言(2008年4月)



この話について、僕は「中国異質論」とは異なる解釈を考えてみました。そのきっかけとなったのは、このようなラジオに扇動された暴動が、全く別の場所で発生したことを以前から知っていたことです。その場所は1990年代のアフリカ、ルワンダ共和国でした。


ルワンダ共和国で発生した大虐殺については、以下の記事に詳しく書かれています。

 この連載では「情報の環境問題」をキーワードにCSR(企業の社会的責任)の問題を考えているわけですが、情報環境問題が破壊的な影響を及ぼした例として、ファシズムのメディア統制やとりわけ大虐殺、つまり「ジェノサイド」を挙げることができます。


 20世紀に入って、人類は少なく見積もっても4回、100万人規模の人間集団を地上から根絶やしにする「ジェノサイド」を引き起こしました。第1はオスマン・トルコ帝国によるアルメニア人大虐殺(1915〜16)、第2はナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺とスターリン時代のソ連による大虐殺(1941〜45〜…)、第3はクメール・ルージュによるカンボジアでの大虐殺政策(1975〜79)、そして第4はルワンダ大虐殺(1959〜94)です。


 ナチススターリニズムは既に過去の歴史となって久しいですが、ルワンダのケースはごく最近起こったことです。実はいまだ裁判も終わっておらず、大虐殺については当事者から話を聞くことができます。幸いルワンダ共和国政府から招聘をいただき、3年ほど準備して、キガリ出張が実現しましたので、これから数回ルワンダからリポートをお届けしたいと思います。


ジェノサイドは「非常時」に起きる


 先に挙げた「大虐殺」は例外なく「戦時」つまり「非常時」とされるときに起こっています。


 人は「今は生きるか死ぬか、というところなんだから、ほかのことなんか構っていられない、殺すか殺されるかなんだから、手段など選んでいられない」と短絡するとき、後から振り返ると信じ難いことを、淡々と実行してしまう。


 上記のジェノサイドはすべて「非常時だからやむを得ない」といった理由のない理由で、平時から存在していた社会対立に「最終的解決」をもたらそうと人為的に導入された大量殺人であることが共通しています。


 このうち、ナチス・ドイツソ連、ならびにルワンダのケースに顕著なのは、それがマスメディアによって増幅されたことです。第1次大戦中のトルコや 1970年代のカンボジアに関しては正確なところがわからないのですが、少なくともナチスホロコーストスターリニズム、そしてルワンダに関しては、ラジオなどの公共放送から新聞雑誌など、ありとあらゆるメディアを通じて、「最終解決」の政策が国の方針として周知されました。


 またそこでは音楽放送を含む様々なメディア・マインドコントロールの手法が使われたわけです。


 私はかれこれ25年ほど、こうした音楽や放送と感情のコントロールの問題と向き合っています。やっている事は、基礎的な生理測定から作品の作曲や演奏までいろいろですが、中心となる問題意識は実は1つで、これを追う中で「オウム真理教」のメディア・マインドコントロールから「オレオレ詐欺」まで、様々な事例と出合いました。


 中でも「ルワンダ大虐殺」に関しては、私がこの問題を追っている最中の1994年に発生したものでした。マスメディアの果たした役割や責任が極めて重い。


 そこで今回は、まず基本的なところから、ルワンダの問題を整理しておきたいと思います。日本語の活字になるのは初めての内容も含まれていますが、直接のヒアリングに基づくものです。

メディアで憎悪を増幅してはいけない!:日経ビジネスオンライン



この記事では、この後ルワンダ大虐殺に至る背景を詳しく説明しています。その内容を自分なりに簡単にまとめてみます。
一般にルワンダ大虐殺は多数派の「フツ族」が少数派の「ツチ族」を虐殺した事件として知られていますが、実は「フツ」も「ツチ」も「民族」と言える集団ではなく、むしろルワンダにおける伝統的な社会階層に近い存在であるようです。

フツ族」と「ツチ族」の対立ではない


 「ルワンダ大虐殺」というと、ご存じの多くが「フツ族」と「ツチ族」の「民族対立」と理解していると思います。


 「民族対立」と書くと日本人と中国人、韓国朝鮮人など、異民族間の対立のイメージを日本の読者は持たれると思います。


 実はここからして、報道上、特に訳語に大きな間違いがあります。


 フツ Hutu (発音は「フトゥ」に近い)とツチTutsi(「トゥツィ」に近い)は、日本語で似た概念をあえて挙げるなら「農民(Hutu)」と「武士 (Tutsi)」に似たもので、職業と社会階層の名称だと正しく理解する必要があります。人種や民族が違うわけではないのです。


 より正確には、古来「遊牧民」として生活し、また武器を手にする「戦士」階層であった、人口の15%ほどを占めるTutsiと、「地を耕すもの」を意だという人口84パーセントほどのHutu、それにピグミー系の山岳民族で、狩猟を生業とするTwaの、3つの「社会グループ」がこの地域には存在してルワンダの民「バニャルワンダ」を形成していました。


 Hutu とTutsi には、遺伝学的に異なる特徴を指摘することはできません。


 「背が高く鼻筋も通ったツチ」「背が低くガッシリした体系で鼻も低いフツ」という違いがあるとされますが、これらは「典型的な凛々しい武士の顔」「農民的体型」という程度の意味しか持ちません。この由来については次回にもう少し細かくお話しします。

メディアで憎悪を増幅してはいけない! (2ページ目):日経ビジネスオンライン



この武士階層であった「ツチ」と農民階層であった「フツ」が、1932年に、当時ルワンダを植民地支配していたベルギーによって固定した身分とされ、「ツチ」が「フツ」を差別する体制が築かれました。そして1962年にルワンダが独立すると、今度は多数派である「フツ」が少数派である「ツチ」を迫害するようになり、多くの「ツチ」が国外に逃れました。この亡命した「ツチ」が1990年にルワンダ愛国戦線RPFを組織してルワンダに侵攻し、ルワンダは内戦状態となりました。その結果追い詰められた「フツ」急進派が支配する政府が、長年の対立で積もっていた「フツ」民衆の恐怖や憎悪を利用して、ラジオで民衆を煽り、凶器となる鉈を配布して、「ツチ」の大虐殺を扇動したのです。
このように、歴史的な社会階層がベルギーやルワンダ政府の政策によって固定化され、お互いの憎悪が積み重なった結果、ラジオによる扇動が大虐殺を生んだわけです。


一方、文化大革命について考えてみると、中国社会では歴史的に支配層である士大夫階層が科挙制度を利用して歴代の帝国の官僚となり、一般の民衆を収奪してきました。共産主義革命はそのように富と権力を持っていた支配層を、ブルジョアとして固定化した上で、否定するものだったでしょう。そのような共産主義思想を徹底的に推し進めた文化大革命は、歴史的な社会階層を政治によって固定化・転倒させた上で、歴史的な憎悪を煽り、大虐殺を引き起こしたものだったと思います。
このように考えると、ルワンダ大虐殺と文化大革命の背景は似ているように思えます。たかがラジオが大虐殺を引き起こしたという現象の背景には、このようなものがあったと考えれば、「中国異質論」を持ち出す必要もなくなるでしょう。


ただ、この考え方を推し進めると、文化大革命というのは、オスマン・トルコ帝国によるアルメニア人大虐殺、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺とスターリン時代のソ連による大虐殺、クメール・ルージュによるカンボジアでの大虐殺政策、ルワンダ大虐殺と並ぶ、20世紀を代表するジェノサイドと位置づけられることになってしまいます。つまり文化大革命は、人類が時々引き起こすジェノサイドという現象の一つということになるでしょう。


ただ、中国人がこのような考え方を認めることはまずないと考えられるため、かんべえさんが件の中国人学者にこのような解釈を披露するわけにもいかないんでしょうね。いかに酒の席と言っても、その瞬間大喧嘩になるでしょうから。