Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

「不可解な世論」について考えてみる

すなふきんさん(id:sunafukin99)のこのエントリーがはてなブックマークで人気を集めているようです。

http://wotan.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-d8c7.html

大阪大学大竹文雄教授が、1年ほど前の週刊東洋経済に寄稿していらっしゃった(面白かったのでとっておいた)のですが、

ちょっと要約します


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市場競争とセーフティネットという、経済学者が考える標準的な組み合わせは、日本人の常識ではないようだ。

「貧富の格差が生じるとしても、自由な市場経済で多くの人はより良くなる」

という考え方にあなたは賛成するだろうか。

PEW研究センターと言う米国の調査機関が2007年に各国で意識調査をしている。

 日本では49%しか、この質問に賛成していない。

米国 70% カナダ 71% スウェーデン 71% イギリス 72% 韓国 72% イタリア 73% 中国 75% スペイン 67% ドイツ 65% フランス 56% ロシア 53%

主要国の中では日本人の市場経済に対する信頼感の低さは際立っている。

では、日本人は政府に頼っているのだろうか。

同じ調査で、

「自立できない非常に貧しい人たちの面倒を見るのは国の責任である」

という考え方に賛成するか否かを尋ねている。

 日本ではこの考え方に賛成しているのは59%である。この数字も国政的には際立って低い。

ほとんどの国で80%以上の人が、貧しい人の面倒を見るのは国の責任だ、と考えている。

カナダ 81% フランス 83% イタリア、スウェーデン、ロシア 86% 韓国 87% 中国 90% イギリス 91% ドイツ 92% スペイン 92%

国の役割に否定的だと考えられる米国でも、70%の人が貧しい人たちの面倒を見るのは国の責務だと考えている。

多くの国では、市場経済と国の両方を信頼している。つまり、市場経済によって国全体の豊かさを増し、市場競争から貧困者が生まれれば、その面倒を見るのは国の責任だという考え方だ。

しかし、日本では格差拡大への対策として、セーフティネットではなく規制強化が議論される、少し変わった国である。


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少しではなくて、ずい分と変わった国だと思います。



市場競争とセーフティネット(最終担保としての社会保障)は両者とも車の両輪のように片方が欠けては成り立たない要素だ。市場経済により社会に富が生み出され、その余剰で社会的再分配が行われる。再分配の主体は政府部門だ。同時に政府はマクロ経済政策により市場メカニズムの不安定要因を修正し、経済成長を促す役目もある。これが少なくとも現代の資本主義システムの標準的理解だろうと思う。

しかし今の日本では市場経済によって人々の生活がよくなるという意識が乏しい。そしてなぜか国が貧しい人の面倒を見ることも望ましくないといった考え方の人が多いらしい。こうした発想はどこから来るんだろうか?考えてみたけどどうもよくわからない。

http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20090314/1237030174



政府と市場両方に対する信頼が低いとなると、社会学的に考えれば共同体への信頼が強いのではないかということになるでしょう。すなふきさんの翌日の記事*1で紹介されていた大竹文雄氏の論文でも、このような事を言ってますね。

しかし、日本では格差拡大への対策として、セーフティネットではなく規制強化が議論されるという特徴をもっている。恐らく家族、会社などの共同体の中で面倒を見てきた日本人の価値観があって、そこからなかなか脱皮できていない可能性が示唆される。

所得格差の実態と認識(大竹文雄)



日本の歴史的共同体と言えば、室町時代から戦国時代にかけて形成され、江戸時代に定着した「村(ムラ)」ということになるのでしょうが、「百姓から見た戦国大名」によると、この村というのは戦国時代には近隣の村と生存に必要な資源(土地、水、山など)を巡って武力で争っており、時には戦国大名に従って遠くまで従軍して略奪をしていました。江戸時代になって上から武装を禁じられたのと、生産力が上がって飢餓状態から脱した結果、武装はしなくなっていきましたが、それでも武装していた時代と同様、自立した存在として村民を協力に組織・統制していたのでしょう。そして、村民一人一人は直接領主(戦国大名や藩、幕府など)や市場と繋がっていたのではなく、村を通して繋がっていたのだと思います。


百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)

百姓から見た戦国大名 (ちくま新書)



そのため、時代が下っても、個人が直接国家や市場と繋がっているという意識は希薄で、村や会社といった共同体を通じて繋がっていると感じていたのではないでしょうか?
そうなると、人々の生活を保証するのも国家や市場ではなく共同体ということになりますから、「市場経済によって人々の生活がよくなる」とか「国が貧しい人の面倒を見る」という考え方には怪しさを感じてしまうのでしょう。


ただ、今や昔ながらの「村」は消滅する過程にあり、「会社」による擬似的な共同体も崩壊しつつあります。残るのは家族ですが、これだけでは生活を支えられ切れないことも多いでしょう。今回の景気悪化で失業などの被害を受けているのも、そのような共同体に支えてもらえない人が多いと思います。
そうなると、これまで生活に直接影響するものとして考えてこなかった国家や市場に生活を支えてもらわなければならないわけですが、まだそのように頭を切り換えられない人が多いのでしょうね。そう考えると49%や59%という数字も納得できると思います。


ただ、そうなると他国では経済水準に関わらず共同体への依存が低いということになるのですが(中国も入ってますから)、これは何故なのでしょうね?これはすなふきんさんの問いの裏返しですが、日本から見るとこういう問いもできると思います。