Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

スティーブ・ジョブズ "The Big Brother for the Rest of Us"

10/5(アメリカ西海岸時間)、Appleの共同設立者であり、その経営を立て直した中興の祖でもあった、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。
僕は、ちょうどそのニュースを通勤途中の電車の中で、iPhonetwitterを読んでいる時に知ったのですが、思わず涙が出てきてしばらく止まりませんでした。オバマ米大統領が哀悼メッセージの中で「そして、世界の多くが、彼が発明したデバイスの上でその死を知ったという事実が、Steveに対する最大の賞賛かもしれない。」と言いましたが*1、僕もその一人だった訳です。
僕が最初に買ったMacはMaicntosh IIciという機種で、この機種ではアプリケーションだけではなく様々なOSの機能拡張をインストールしたり、拡張カードやメモリ、HDDなどを増設したり、様々な周辺機器を接続したり、色々いじりまくっていました。その後も同じように拡張性に優れたPowerMacシリーズを長年使っていました。


ただ、よく考えてみると、このような拡張性に優れた機械というのはジョブズの考え方というよりは、もう一人の設立者であるスティーブ・ウォズニアックが開発したApple IIの考え方を受け継いでいたように思います。必要なものは自分で開発や工夫をするという、ハッカー(犯罪者ではなく本来の意味である「コンピュータの達人」としてのハッカー)の考え方に近い考え方でしょう。
これに対して、ジョブズが開発したマシンは、拡張性はあまり考えないクローズドなマシンが多かったように思います。初代のMacintoshやその全身であったLisa、あるいはApple復帰後に手がけたiMac, iPod, iPhone, iPadはすべてそのような傾向があったと思います。(ジョブズAppleを離れていた時に開発したNeXTは例外ですが)
このようにジョブズが開発したマシンを並べると、その背後には一般消費者のためのコンピュータを作ろうという考え方があったように思います。1984年に初代のMacintoshが発売されたとき、"The Computer for the Rest of Us"というキャッチフレーズがありました。1984年当時、まだコンピュータは一部の愛好家のためのものであり、ようやくビジネスへの利用が始まろうとしている頃でした。そのような愛好家の中から出てきたのがハッカー精神でした。そんな時代に、愛好家のためではない、一般消費者"the Rest of Us"のためのコンピュータを作ろうとしたのですから、それは革命的な考え方だったと思います。僕がMacが好きだったのも、そのコンセプトに魅了されたのが大きかったと思います。


ただ、そのためには代償もありました。一般消費者がコンピュータを使うためには安全や信頼性を保証しなければなりませんが、コンピュータ利用の自由度が増すほど、コンピュータの悪用による脅威や、動作の不安定性が大きくなってしまいます。だから、一般消費者にコンピュータを使ってもらうためには、利用の自由度を減らして、インストールされるソフトや接続されるハードも制限するしかありませんでした。
Apple製品においては、ジョブズが復帰した後にこの傾向が顕著になったと思います。そしてiPhoneiPadで制限は完成の域に達して、Appleが承認したソフトしかインストールできなくなってしまいましたし、ハードの拡張性も僅かなものになってしまいました。しかし、そのようなiPhoneiPadは、過去のApple製品で最も消費者に広く受けれられた製品になったと思います。
そして、Appleは業界に君臨するビッグブラザーとして見られるようになり、ジョブズ自身も独裁者として批判されるようになりました。これこそが"The Computer for the Rest of Us"を実現した代償だったのだと思います。*2
何よりもコンピュータの自由を重んじるハッカー精神の体現者、リチャード・ストールマンは自身のサイトで、ジョブズを「愚者を自由から切り離すことを目的とする監獄としてのコンピュータをクールなものにしたパイオニア」と呼び、「彼が死んで嬉しいとは言わないが、彼がいなくなって嬉しい」と書いたそうです。*3ストールマンジョブズの理想が自分の理想に対する脅威であると理解していたのでしょうね。


初代のMacintoshが発売されたとき、ジョージ・オーウェルの小説「1984年」をもじって、Macintoshビッグブラザーを打ち破るという内容の伝説的なCMが放送されました。当時、このCMと"The Computer for the Rest of Us"が、Macintoshを象徴するコンセプトでした。しかし、この2つが結局対立する概念であったということは、当時のジョブズにとっても思いもよらぬことだったのでしょう。ジョブズの生涯は、その矛盾を体現したものであったと思います。
そしてその矛盾は、コンピュータを使う全ての人に大しても突きつけられているものだと思います。自分のやりたいことを追求しようとすれば自由なコンピュータ環境が欲しくなりますが、それは同時に安全や信頼性を脅かすものであり、それを避けようとすればビッグブラザーが保証する範囲の自由で我慢するしかなくなります。このジレンマは永遠につきまとうのでしょうね。

*1:米バラク・オバマ大統領、Steve Jobs氏死去について「彼は、私達一人ひとりの世界の見方を変えた」と哀悼のメッセージをおくる | NEWS | Macお宝鑑定団 blog(羅針盤)

*2:ちなみに、ジョブズ氏がいなかった頃のAppleは、エンジニアが好き勝手に様々なプロダクトや技術を実現する、エンジニアの楽園だったと思います。しかし、そのようなプロダクトや技術はユーザーのニーズとはかけ離れていたため巨額の赤字を生み、Appleを倒産寸前に追い込む一因となりました。だから、ジョブズは社内でも独裁者になるしかなかったのでしょう。

*3:リチャード・ストールマンの発言がそんなにおかしいか? - YAMDAS現更新履歴