Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

リフレ派が考える再分配政策と労働政策について

先日の記事については大きな反響があり、賛否双方から様々な意見をいただきました。本当にありがとうございます。
その意見の中に、このような記事がありました。

さて、なぜ私はポール・クルーグマンやジョセフ・スティグリッツの主張には感心するのに、左派・リベラルはなぜ安倍政権を倒せないのか? - Baatarismの溜息通信(2015年8月6日)のような記事には反感が先に立つのか。
それは、クルーグマンスティグリッツの文章からは、リベラル派としての立場がはっきりしていて信頼できるのに対し、上記ブログ記事は全くそうではないからだ。


(中略)


さらに問題なのはコメント欄だ。コメント欄に、ブログ主はこう書いている。

アベノミクス開始後に、54歳以下の生産労働人口において、非正規雇用から正規雇用への転換が始まっているというデータがあります。
「非正規から正規へ」雇用の転換が始まった――“反アベノミクス”に反論
http://nikkan-spa.jp/883248

しかし、そんなことを書くのなら、ブログ主はなぜ労働者派遣法の改定に言及しないのかと、強い疑問を抱く。いうまでもなく今国会において既に衆議院を通過し、参議院で審議中である。
ブログ主は記事の本文に、

さて、今、左派・リベラル勢力によって安保法案反対や安倍政権打倒を訴えるデモが起きています。特に若者によって組織された「SEALDs」が大きな注目を浴びています。
ただ、彼らは大声で安倍政権を批判していますが、何故かその支持の根幹である経済政策では、安倍政権に対抗しようとしていません。ここに打撃を与えないと安倍政権を打倒することはできません。
また安倍政権の好ましくない政策を止めたいのであれば、政権交代を実現させて安倍政権が制定した「間違った」法律を廃止する必要がありますが、そのためにも安倍政権以上の経済政策を打ち出す必要があるでしょう。

と書いているのだが、そう書くブログ主本人が、金融政策以外についてはほとんど何も書いていない。再分配政策について、「格差を縮小するための再分配政策は無策である」と書いてはいるものの、スティグリッツのように再分配を強めよとは書かない。労働問題についても、安倍政権の経済政策によって非正規雇用から正規雇用への転換が始まっている、と書くのに、労働者派遣法の「改正」はスルーする。「SEALDs」の主たる関心事である安全保障政策と経済政策の距離よりも、同じ経済政策の範疇に属する再分配政策や、経済政策と近親関係にあると思われる労働政策と、ブログ主の主たる関心事であろう金融政策との距離の方がずっと近いはずだと私は思うのだが、なぜ他人に要求しているのと同質のことをブログ主はやらないのか。不思議でならない。ブログ主の「SEALDs」に対する注文には、正直言って「お前が言うな」としか思えない。


なぜクルーグマンやスティグリッツは信頼できるのに日本の「リフレ派」は信用できないのか - kojitakenの日記 なぜクルーグマンやスティグリッツは信頼できるのに日本の「リフレ派」は信用できないのか - kojitakenの日記 なぜクルーグマンやスティグリッツは信頼できるのに日本の「リフレ派」は信用できないのか - kojitakenの日記

このように、僕の記事(ひいてはリフレ派全体)に、再分配政策や労働政策が欠けていることを批判する趣旨だと理解しました。
前回の記事は金融政策について左派を批判する内容だったので、再分配政策や労働政策については取りあげなかったのですが、左派からリフレ派を見たときは、そのような疑念が大きいようなので、今回は再分配政策や労働政策について、リフレ派の考え方を述べてみたいと思います。
ただリフレ派と言っても、リフレ政策以外では必ずしも意見が一致しているわけではないので、僕がこれから述べるのは、「リフレ派の平均的な再分配政策や労働政策」についての、僕なりの理解です。この考え方から外れている人はいるでしょう。


まず再分配政策については、「給付付き税額控除」政策を主張する人が多いと思います。これについては消費税の逆進性対策として、軽減税率を否定する代わりに給付付き税額控除を主張するという文脈で出てくることが多いです。
ちなみにこの政策は、下の解説にもあるように民主党も採用している政策なので、リフレ派だけの政策というわけではありません。

税額控除と手当給付を組み合わせた制度。算出された税額が控除額より多い場合は税額控除、少ない場合は給付を受ける。例えば、10万円の給付付き税額控除を行う場合、税額が15万円の人は5万円を納付し(10万円の税額控除)、税額が5万円の人には5万円が支給される(5万円の手当給付)。通常の税額控除や所得控除と違い、課税所得がない低所得者も恩恵を受けられる。民主党が平成21年(2009)の第45回衆議院議員総選挙の際に、所得税改革の一環としてマニフェストに掲げた。


給付付税額控除(キュウフツキゼイガクコウジョ)とは - コトバンク 給付付税額控除(キュウフツキゼイガクコウジョ)とは - コトバンク 給付付税額控除(キュウフツキゼイガクコウジョ)とは - コトバンク

このように、リフレ派は再分配政策というものを、文字通り「所得や資産」の「再分配」という意味で理解しています。
この考え方は、経済学者ミルトン・フリードマンの「負の所得税」の考え方を応用したものです。フリードマンというと、左派からは「新自由主義の元祖」というイメージが強くて評判が悪いのですが、彼は彼なりに不平等の問題を考えていたわけです。ただ、彼の支持者や後継者の中にはこのような視点が抜け落ちてしてしまった人も多いのですが。

給付付き税額控除(きゅうふつきぜいがくこうじょ)とは、負の所得税のアイディアを元にした個人所得税の税額控除制度であり、税額控除で控除しきれなかった残りの枠の一定割合を現金にて支給するというもの。ミルトン・フリードマンの「負の所得税」を応用したものである[1]。
勤労税額控除という形式で導入している国家が存在し、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、スウェーデン、カナダ、ニュージーランド、韓国など10カ国以上が採用している。


給付付き税額控除 - Wikipedia 給付付き税額控除 - Wikipedia 給付付き税額控除 - Wikipedia


また、労働政策についてですが、リフレ派は雇用を非常に重視しています。例えば、浜田宏一内閣参与はリフレ派の代表的な経済学者の一人ですが、最近こんな発言をしています。

 「僕はあくまでも国民生活に一番響くのは雇用だと考える。雇用環境がひっぱくしているという現状がある限り、物価の細かいパーセントに一喜一憂する必要はない。物価目標は消費者物価指数(CPI)そのものではなく、エネルギーと食料品を除いた『コアコアCPI』とするべきだ」


増税へ緩和継続と第四の矢を 浜田宏一エール大名誉教授:朝日新聞デジタル 増税へ緩和継続と第四の矢を 浜田宏一エール大名誉教授:朝日新聞デジタル 増税へ緩和継続と第四の矢を 浜田宏一エール大名誉教授:朝日新聞デジタル

インフレ目標はリフレ派が最も重要視してきた政策ですが、それでも「物価の細かいパーセント」よりも雇用の方が重要であると浜田氏は言っています。インフレ目標に疑問を抱かせるような発言をしてでも、雇用の重要性を強調しているわけであり、リフレ派が雇用を無視しているわけではないのは、この発言でも分かるでしょう。
ただ、リフレ派が考える雇用政策は、景気を回復させて労働需要を増やすことで、労働市場を労働者側有利にして、失業率の低下や安定した雇用の増加を促すというものであり、労働者派遣法のような法的手段で、不安定な雇用や劣悪な雇用を規制するというアプローチとは異なります。


というわけで、リフレ派は再分配政策も労働政策も軽視しているわけではないのですが、クルーグマンスティグリッツの主張には感心するのに僕の記事には反感があるという方ならば、恐らくこのような主張は知っていて、それでも反感を抱いているのだと思います。
特に、実際に福祉政策や雇用政策のNGOで活動している方から見れば、このような主張は「当事者のニーズを無視している」ように見えるのでしょう。

ただ、リフレ派がこのような考え方をしているのには、理由があります。それはリフレ派の発想が「裁量からルールへ」という考え方に基づいているからです。
リフレ派は以前「インタゲ派」と呼ばれたこともあるくらい、インフレ目標政策を強く主張していました。黒田総裁になってインフレ目標を採用したので、最近では主張は別の点に移ってますが。
このインフレ目標政策も「裁量からルールへ」という考え方を金融政策に適用したもので、従来は日銀の裁量によって不透明な形で行われていた金融政策を、インフレ目標という透明性の高いルールに基づいて行うことで、市場の予想を安定させ、安定的な経済成長や物価を実現させようという考え方です。その理論的基盤は「期待インフレ率」の安定が重要であることを証明した、クルーグマンバーナンキ(前FRB議長)をはじめとする多くの経済学者の業績に基づいています。


リフレ派はこのような「裁量からルールへ」という考え方を、他の分野にも適用しています。
この考え方がよく分かるのが、前回の記事で著書を紹介した若田部昌澄氏の記事です。(この人もリフレ派の中心的な経済学者の一人です)

デフレ脱却後の「国のかたち」を求めて
 かくも「第三の矢」は玉石混交であるが、これは次のレジームを占うシグナルともなる。リフレ・レジームはいずれにせよ、一時的である。そもそもリフレーションが、デフレからの脱却をめざし、緩やかなインフレを実現することだからだ。インフレ目標の目標値が実現した暁には、リフレ政策の歴史的使命は終わる。問題は将来のレジームである。
 何よりもデフレ・レジームに後退しないことが必要であり、インフレ目標あるいはその進化した仕組みは維持されなければならない。それ以外の分野では、「第三の矢」と再分配政策が国のかたちを決めていくだろう。来るべきレジームの特徴を2つの方向でまとめてみよう(表2)。





 2つのレジームの違いは、その政策哲学・思想にある。一方のオープン・レジームはルール・枠組みを重視し、そのもとで新規参入を促進しようとする。政府がおカネを使うよりは民間がおカネを使うことを重視する。再分配についても、ルールを定めて裁量が働かないようにする。他方のクローズド・レジームは、政府の裁量・計画を重視し、特定産業の利害を重視する。もちろん、来るべきレジームは、必ずしもくっきりとどちらかに分かれるものではないかもしれない。分野によって混合体になる可能性はある。
 これまでの「第三の矢」には、2つのレジームのどちらの要素も含まれている。ところで安倍首相は、これまで成長戦略を発表するのに自ら講演を行なうという手法をとってきた。その第一弾(4月19日)、第二弾(5月17日)での講演で、それぞれ下村治、池田勇人について言及していることは興味深い。どちらも高度成長期の立役者であり「国民所得倍増計画」で知られている。けれども、彼らはどちらも計画を嫌っていたという。池田は「私は統制経済や計画経済論者ではないから、10年という期間を限定して、計画的に月給を2倍にするとは、いいもせず、考えてもいない」(藤井信幸『池田勇人ミネルヴァ書房、2011年)と。


最先端を行く「リフレ・レジーム」〔2〕 | PHPオンライン 衆知|PHP研究所 最先端を行く「リフレ・レジーム」〔2〕 | PHPオンライン 衆知|PHP研究所 最先端を行く「リフレ・レジーム」〔2〕 | PHPオンライン 衆知|PHP研究所

この記事にあるように、若田部氏はリフレ政策以後の日本のあり方を「オープン・レジーム」と「クローズド・レジーム」に分けて、前者をルール・枠組みを重視する考え方、後者を政府の裁量・計画を重視する考えたと分類しています。この記事でははっきりとは言ってませんが、前回紹介した「ネオアベノミクスの論点」という著書の3章「ネオアベノミクスの革新・オープンレジーム」では、「オープン・レジーム」が望ましい政策であることを表明しています。

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このような考え方からすれば、再分配政策は給付付き税額控除やベーシックインカムといった、明確なルールに基づいた政策が望ましいと言うことになるでしょう。また、労働政策についても、明らかに人権侵害となる場合を除けば、法的な規制で裁量的な線引きを行うよりも、労働市場を活用して雇用や労働環境の改善を図るという考え方になるでしょう。


と、ここまでがリフレ派の再分配政策と雇用政策、そしてその元にある考え方の説明です。


ただ、この考え方では「当事者のニーズ」は市場の中で解決されるべきだということになります。

確かに裁量的な行政の元では、しばしば当事者のニーズを無視した一方的なサービスが押しつけられます。この弊害が一番出ているのが生活保護で、生活保護を受ける代わりに、子供の教育や日々の生活に様々な制限が加えられることが多いです。その制限は行政が考えた「生活に必要不可欠かそうでないか」という裁量的な線引きに基づくものです。また、生活保護の受給決定についても「水際作戦」のような不透明な却下が横行してます。右派の中には生活保護への不信感が強く、「ナマポ」などと揶揄・中傷する人もいますが、これも「どうせ自分が本当に困っても適用されない制度だ」と思っているからそういう行動を取るのでしょう。


しかし、市場にも欠陥はあり、特に情報の非対称性によって劣悪な福祉サービスを押しつけられることもあります。ブラック企業として有名な企業が介護分野に進出して、その施設では劣悪な労働環境と低質なサービスが横行しているという話も聞きます。

そのような問題は「裁量からルールへ」という考え方だけでは解決出来ないのでしょう。確かに行政の「裁量」が多くの問題を引き起こしてきたことは間違いないですが、「ルール」に基づいて「当事者のニーズ」を解決することが、市場だけで可能だという保証はありません。


そのような問題に真剣に取り組んでいるリフレ派は確かに少ないのですが、前回の記事の補足で述べた松尾匡氏は、その数少ない一人だと思います。左派でありリフレ派でもある松尾氏は、「裁量からルールへ」という考え方も支持していますが、それ故にこの問題に自覚的な人だと思います。

前回紹介したシノドスの連載記事や、それを書籍化した「ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼」には、そのような問題意識が込められていると思います。
松尾氏は経済学の歴史にも詳しく、マルクスケインズハイエクフリードマンなど過去の経済学の巨人達の考えも自分なりに再解釈して取り入れて、「裁量からルールへ」という流れの中で、福祉・再分配政策や労働政策がいかなるものであるべきかを、過去の歴史や巨人達の思想から導き出した「リスク・決定・責任の一致原則」を踏まえて論じています。

松尾匡 | SYNODOS -シノドス- 松尾匡 | SYNODOS -シノドス- 松尾匡 | SYNODOS -シノドス-

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松尾氏の考えについては、ここで説明するよりも、ぜひ松尾氏の記事や著書を読んでいただきたいと思います。特に左派の方々にとっては、非常に参考になると思います。
結局肝心の部分を書いていないではないかという批判もあるかと思いますが、これについては僕が付け焼き刃で説明することではないと思うのです。松尾氏自身もまだまだ模索中だと思います。


というわけで、リフレ派の再分配政策と雇用政策について、その長所も短所も含めて、自分の理解を書いてみました。今回の記事は若田部昌澄氏と松尾匡氏の考えに基づいていますが、二人ともリフレ派の中でも高く評価されている人ですので、この2人の考え方に異議を唱える人は、リフレ派でも少ないと思います。

今の僕に書ける内容は、こんなところです。