Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

左のナショナリズム

7/9の日記では麻生太郎氏にナショナリズムの臭いがしないという話をしましたが、彼のナショナリズム観もちょっと独特なところがあります。「自由と繁栄の弧」でも取り上げられていたソートリーダーに関する話の中に、それが伺える場所があります。

 日本が恐らく、最大のコストを払って学んだ難問とは、ナショナリズムの扱い方だったのではないかと思います。

 わが国ナショナリズムの昂じるところ、過去の歴史において、韓国や中国を始めとするアジアの国々で無辜の民を苦しめたことは、引き続き謙虚な反省の念をもって臨まなくてはならない問題です。また先の大戦では、われわれ自身に多くの犠牲を生んだことでもありました。

 そればかりではありません。日本の現代史は、民主主義の激情が、容易にナショナリズムの興奮へと転化しかねない事実をも教えています。若い民主主義は、ないし、民主主義を希求しようとする若いハートは、由来激しやすいのです。

 1950年代末から60年代にかけて、日本はまさしくこの状態を通過しました。わたくしには、アジアのいくつかの国に、政治的にも、経済的にも、当時の日本と似た状況が見て取れるように思えてなりません。日本はこの危機的状況をどうやって潜り抜けたのか。それはわれわれ自身、隣人たちに努めて説いていかねばならないことでしょう。

外務省: わたくしのアジア戦略 日本はアジアの実践的先駆者、Thought Leaderたるべし 外務大臣 麻生太郎


麻生氏は、1950年代末から60年代にかけて「民主主義の激情が、容易にナショナリズムの興奮へと転化しかねない」状態があったと語っています。この時代の日本は、60年安保から70年安保へと至る左翼運動の高揚期で、一般にナショナリズムと考えられる右翼の運動は低調でした。だから麻生氏は左翼運動の中に「ナショナリズムの興奮」を見ているのだと考えられます。
21世紀になってからの韓国で反米親共のナショナリズムが盛り上がっていることを考えれば、当時の左翼運動も、これと同様の反米ナショナリズムと考えることはできるでしょう。つまり、当時の日本では、右のナショナリズムは低調でしたが、左のナショナリズムが盛り上がっていたということになります。


さて、このような「左のナショナリズム」は、今の日本にもあるのでしょうか?僕は、久間防衛大臣の広島・長崎への原爆投下を巡る発言への反応を見ていて、そのような「左のナショナリズム」は今でもあるのではないかと思いました。
久間防衛大臣の発言への反応について、雪斎さんのブログに次のような記事があります。

■ 『溜池通信』で紹介されていた『The Economist 』記事要旨からの抜き書きである。
 久間防衛相が米国の原爆投下を是認するような発言をした。久間の発言は主流派歴史家の見解通り、原爆投下が日本の降伏を早め、ソ連の大規模占領を防いだというもの。これが日本の右派(歴史見直し派)と左派(反戦平和派)を結束させてしまった。不運にも久間の選挙区は長崎であり、自民党候補が民主党と競っている。九州は保守の金城湯池なるも、自民党の選挙マシーンは弱体化している。久間は7 月3 日に辞任した。
 雪斎は、「久間発言は、教条的な『平和主義者』と観念的な『民族主義者』の醜悪な野合の光景を出現させた。誠に気色悪いものを見せられた想いがする」と書いたけれども、『The Economist 』記事要旨を前にして、「何だ。同じことを言っているやないけ」と反応する。


(中略)


 実際、筆者が言論活動の最初期の題材としていたのは「唯一の被爆国」感情に寄り掛かって「核」を語る姿勢への批判であった。「唯一の被爆国」感情に囚(とら)われた結果、日本の人々は、国際政治を怜悧(れいり)に認識する機会を逸してきたのではないか。筆者は、こうした問題意識の下で、本欄でも「核」に関する所見を幾度も披露してきた。

「核」の管理という課題: 雪斎の随想録


僕は、この発言を巡って野合した右派と左派のどちらにも、ナショナリズムがあったのだと思います。右派のナショナリズムについては言うまでもないですが、左派の反核運動もその根底にあるのはアメリカの原爆投下による被害への憤りであり、これは中国や韓国のナショナリズムが、日本の侵略や植民地支配による被害への憤りを根底に持つのと同様の構造でしょう。だから、日本の反核運動もやはり「左のナショナリズム」であると思います。
雪斎さんが先の記事で指摘している「唯一の被爆国」感情というのは、正にこのようなナショナリズムの現れであると思います。「唯一」というのは単に歴史的に唯一というだけではなく、日本を唯一特別な国と捉える感情、つまりナショナリズムの感情をも表していると思います。
ただ、ナショナリズムというのは、その国の外では意味を持たない思想です。だから日本の反核運動は、国際的に影響力を持つことができないのだと思います。
あと、日本の反核運動が西側の核だけを問題視して、旧ソ連、中国、北朝鮮などの旧東側の核に甘い理由も、原爆を落としたアメリカを反核運動におけるナショナリズム感情の対象としているためでしょうね。


左派の方は自分たちの中にナショナリズムがあるということは認められないと思いますが、日本の左派を中国や韓国のナショナリズムと対比して見ると、反米ナショナリズムという共通点が見えてくるんですよね。