Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

書評「デフレ不況 日本銀行の大罪」

ちょっと考えてみてください。もし、あなたの会社の重役にこんな人物がいたとしたら、会社はどうなってしまうでしょう?


その人物はとにかく責任を負うのを嫌がり、目標を明確にするのを拒み続けます。それでも何か問題が発生して責任を取らされそうになると、あらゆる理屈を使って自分には責任がないことを主張して、いつの間にか責任をうやむやにしてしてしまいます。しかもこの人物は社内政治に長けていて、彼の責任を追求したり、彼に問題を解決する能力と権限があると指摘した人は、左遷されて閑職に回されてしまうので、誰も彼のことを批判できず、その問題はいつまで経っても解決しません。


もしこんな人物が幹部だったら、その会社はお先真っ暗でしょう。


ところが困ったことに、我が国の中央銀行である日本銀行は、こんな人物のような行動を繰り返す組織らしいのです。


今回取り上げる「デフレ不況 日本銀行の大罪」の著者である田中秀臣氏は、長年このような日銀の行動を批判してきた方なのですが、この本ではそのような日銀の体質をわかりやすく丁寧に説明しています。

デフレ不況 日本銀行の大罪

デフレ不況 日本銀行の大罪


日銀というのは日本の唯一の中央銀行であり、通貨を発行するとともに、通貨や金融の調節を行うことをその業務としています。そして通貨や金融の調節を行うにあたっては、物価の安定を通じて国民経済の健全な発展に資することを目的としています。したがって、日銀は物価の安定に責任を負う機関です。

ところが、現在の日本は10年以上デフレが続いています。そしてデフレのもとでは物価だけではなく企業の売上が落ち込むため、賃金低下や失業増大が起こり、不況が続くため、経済の健全な発展はできません。これでは物価が安定しているとは言えないでしょう。

したがって、日銀は何とか金融を緩和してデフレ脱却を図るべきなのですが、日銀は自らの権限である金融政策ではデフレ脱却はできず、デフレは日銀の責任ではないと主張し続けています。そしてデフレ脱却のためには構造改革や成長戦略、産業政策、世界経済の回復など、自らの権限以外の政策や現象が必要だと言い続けています。

しかし海外の多くの経済学者(その中にはポール・クルーグマンのようなノーベル賞受賞者や、アメリカの金融政策を司るベン・バーナンキFRB議長も含まれます)は、デフレは金融政策によって脱出できると主張し、日銀の対応を批判し続けています。

また、あまりにデフレがひどくなり、政府が日銀にデフレ対策を要求したときは、日銀は何故か前言を翻して金融緩和を行い、デフレは少しだけ改善します。しかし日銀はデフレから脱却する前に金融を引き締め、日本はデフレに逆戻りしてしまいます。このようなことは過去に2回(1999年〜2000年と2001年〜2006年)ありました。
もちろん、普通ならばこんな組織は批判されて当然なのですが、日銀は国内の経済学者の研究を支援したり、審議委員などのポストをちらつかせたり、批判する経済学者に圧力をかけたりして、国内の経済学者やエコノミスト、マスコミなどの批判を封じ込めてしまいます。そのため、他の官僚組織に比べて、日銀への批判は微々たるものです。

このような批判に対して、日銀は金融を緩和しすぎるとインフレやバブル発生のリスクが高まると主張しています。ところが日本が狂乱物価に襲われた1970年代前半や、バブルが発生した1980年代後半に、これらを日銀の金融緩和の行き過ぎが原因だと批判した意見については、やはり金融政策が原因ではないと否定しているのです。つまり、日銀の姿勢は自らの責任を回避するという一点だけ共通していることになります。


この本ではなぜ日銀がこのような体質になってしまったかを説明し、政府が日銀にデフレの責任をとらせるような制度を導入することが、日本経済がデフレ不況を脱却するために必要だと主張しています。
なぜ、日本がこれほど長い不況に陥ってしまったのか、どうすればこの不況から脱出出来るのか、そのような疑問を持つ方には、ぜひ一読をおすすめします。