Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

2つの2026年

id:fromdusktildawnさんが書いた「西暦2026年の日本」という文章が話題になっています。これはネットがムーアの法則に従って限りなくタダになっていったとき、日本社会はどうなるかというお話です。
一方、これにインスパイアされたbewaadさんも同じタイトルで、やはりネットが限りなくタダになっていった時の日本社会について書いています。


西暦2026年の日本 - 分裂勘違い君劇場
bewaad.com - 2026年の日本‐another nightmare‐



しかし、この2つを比べてみると、全く同じ仮定で書かれた文章なのに、結果が正反対となっています。fromdusktildawnさんの話では、日本などの先進国と発展途上国の格差は平準化され、その代わり日本国内に大きな格差が生まれる結末となっています。一方、bewaadさんの話では、先進国と発展途上国の格差は固定化され、日本には海外から移民が流入する結末となっています。なぜこれほど結果が違ってしまったのでしょう?


2つの話がはっきり分かれるのはこの部分だと思います。

この結果、いままで誰もがうすうす気づいていながら、恐ろしくてだれも直視することのできなかった問題、すなわち知識労働におけるすさまじい価値生産性の違いが、公衆の面前にさらされることになった。この問題は、古くは、前世紀の終わり頃、マイクロソフト社のビルゲイツの「優秀なソフトウェアエンジニアの生産性は、普通のソフトウェアエンジニアの100倍以上だ」という発言にまでさかのぼることができる。しかし、現実には、100倍どころではない。仕事内容によっては、並のエンジニアが一生かかってもなしえないような難易度の高い問題を、美しい方法で解決するのが、優秀なエンジニアというものだ。そして、これはエンジニアに限った話ではなく、社会はますます高度化し、難易度の高い問題は、ますます増えていったのである。


西暦2026年の日本 - 分裂勘違い君劇場


この結果、いままで誰もがうすうす気づいていながら、恐ろしくてだれも直視することのできなかった問題、すなわち知識労働におけるすさまじい外部性の存在が、公衆の面前にさらされることになった。この問題は、古くは、前世紀の後半、シリコンバレーにおけるコンピュータ関連企業の集積にまでさかのぼることができる。しかし、現実には、シリコンバレーだけではない。世界各地において、ある場所にたまたま多くの優秀な者が偶然にでも集まると、その他の場所では考えもつかないような企業成長が見られる、それが集積というものだ。そして、これはコンピュータ産業に限った話ではなく、従来型産業においても、取引や輸送コストゆえに集積がなされているだけでなく、アンオフィシャルに行われる数々のコミュニケーションが外部性となり各地の生産性を向上させているとの見方がなされるようになったのである。


bewaad.com - 2026年の日本‐another nightmare‐



fromdusktildawnさんの話では、知識労働における生産性の差は、個人の知的能力の違いによるものだとしています。優秀な人間は世界中に散らばっていますから、その人達がネットで結びつけられることで国境を越えた優秀な人達だけの世界が生まれ、どの国でも彼らだけが豊かとなります。優秀でない人間はいくらでも代わりの人間がいるような仕事しかできないので、労働力を徹底的に買いたたかれて貧しくなります。
一方bewaadさんの話では、知識労働における生産性の差は、人々や産業がある地域に集積することで生まれるものだとしています。そのような集積はほぼ先進国だけに存在しますから、先進国の人間はその集積の力を利用して豊かさを維持し、途上国の人間は先進国に移民しない限り、労働力を徹底的に買いたたかれて貧しいままです。


このように全く同じ仮定から出発しても、経済に対する見方の違いによって結論が全く異なってしまいまうというのは面白いですね。どちらもある意味ではわざと極論を狙った話なのでしょうが、経済の原動力は何かという根本的な問いについて、異なる2つの考え方を反映していると思います。