Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

オバマ大統領誕生関連で気になった記事

今日は、オバマ大統領誕生関連の記事で気になったものや、それを読んで思ったことなどを書いてみたいと思います。

 オバマとシカゴ――。
 実は、大統領へと上り詰めた真相をたどっていくと、シカゴのある地区につきあたる。

 オバマの家は、今でもシカゴ中心部の南、サウスサイドにある。
 赤煉瓦の一軒家で、間取りは6LDK。庭にはバスケットボールのゴールポストが置かれていた。


(中略)


 23年前、オバマがシカゴに来た時もそうだった。アイビーリーグの一角、名門コロンビア大学を卒業し、ニューヨークのコンサルティング会社で高給を取っていた生活を捨てて、サウスサイドにやってきた。そして、住民が抱える社会問題を解決するために、年俸1万ドルで地域活動家になった。

 サウスサイドはシカゴの中心からクルマで約20分ほどの所にある。高速道路を出ると住宅街に入り込むが、道行く人は黒人ばかりだった。95丁目にある目当ての建物に着くまで、ついに、白人の姿を見ることはなかった。

「コミュニティー開発プロジェクト」
 建物の横にある小さな看板には、青いペンキでそう書かれていた。二十数年前、ここでオバマは活動を始めている。


(中略)


 90年の年末。まだ大学院生だったオバマは、サウスサイドの状況が心配になって、シカゴに戻ったことがある。オバマの後任として地域活動家になっていたマイケル・エバンスは、その時、初めてオバマとレストランで面会した。当時のことは、今でも鮮明に覚えている。

「卒業したらシカゴに戻ってくると言っていた。いつしか市長選挙に出馬したいとも話していたね」

 ハーバード・ロー・レビュー編集長という要職を務めたオバマには、卒業時に数々の輝かしい道が用意された。その1つには、連邦控訴裁判所裁判長の補佐官があった。学者としての将来を考えれば、誰もが飛びつくはずのポストだった。

 だが、その要請を断って、オバマはシカゴに戻る。そして、弁護士事務所に勤める傍らで、シカゴ大学の教壇に立つ。

「彼には明確なビジョンがあった。シカゴに戻って行政に関わりたいと言っていた」

 シカゴ大学教授のジェフリー・ストーンは、ロースクール学長として採用面接を担当して、その知性に惚れ込んだという。

 だが、シカゴに戻ったオバマが目にしたのは、地域活動では手に負えないところまで悪化した地域社会の実情だった。

 公営住宅団地オールトゲルドの惨状に、ジョンソンはため息をついた。

オバマが去ってから、どうなったと思う? 荒廃する一方よ。今では、2000戸のうち、623戸しか入居してない。ついに、この地区の失業率は87%になったわ」

 90年代、マクロ経済で見れば、米国は不況から脱して成長軌道に乗っている。だが、多くの貧困地区は状況が好転することはなかった。富の集中度を示すジニ係数は上がり続け、先進国で最も格差が激しい社会になっている。それでも、高所得者への優遇税制を続けるべきなのか。一部の富裕層の所得が増え続ける状況に、多くの米国民が疑念を抱く。

 オバマの「ブッシュ減税廃止」や「中間層減税」「国民皆保険」などは、シカゴで遭遇した庶民生活の視点から生み出されている。だから、予備選がスタートしてから1年弱の間、大きな政策のブレがない。

 それが、米国民から、最後に信頼を得た大きな要因だろう。貧民街で活動して、大衆の苦しみを肌で知るオバマへの期待につながっている。

 逆に言えば、シカゴの貧民街での経験がなければ、彼の言葉や演説に、人々を共感させる力は生まれなかったに違いない。

 そして、オバマは悟った。衰退という流れを止めるには、もはや地域活動では限界がある、と。彼は、シカゴ南端で得たものを、より大きな舞台へと持ち込もうとしている。

オバマがサウスサイドで得たスキルは、草の根から大きなムーブメントを作る方法なんだ。これは政治家としても通用すると思う。より大きな地域を扱うにすぎないから」(ケルマン)

 シカゴの貧民街がオバマを育て上げた――。

 だから、彼は今もそこに住み続ける。日々の生活に喘ぎ、命の危険に晒されながら生きる人々の息づかいを感じながら、来年1月20日、バラク・オバマホワイトハウスの扉を開ける。

(2)シカゴ オバマを鍛えた貧民街:日経ビジネスオンライン



オバマ氏のキャリアは、地元シカゴ・サウスサイド地区の貧民街での、貧困・環境改善活動から始まりました。彼は元々住民活動家であり、それが彼のバックボーンとなっているのでしょう。

 しかしバラク・フセインオバマとはどんな人物なのか。どんな政策を信奉し、実践するのか。こうした問いへの答えを考えると、思わず身のすくむほど未知の部分が多いことに気づく。2004年夏の民主党大会で、イリノイ州議会議員として当時の大統領候補のジョン・ケリー氏の指名演説をするまではまったくの無名だったオバマ氏の政治志向を知るには、3年ほどの連邦議会上院議員としての軌跡が最大の指針となる。


 その上院での投票歴などにみる政治傾向として、オバマ氏は100人の議員のうち「最もリベラル」と判定された。政府の民間統制や大幅支出を優先する「大きな政府」策推進の最左派ということである。社会問題では妊娠中絶や同性愛に寛容となる。安全保障では反軍事、反ミサイル防衛反核の傾向となり、経済では保護貿易主義や反外国投資に傾き、原子力発電所や米国沿岸での石油開発に難色を示す。外交面でも同盟よりは国際機構の重視、無法国家を相手にしてもまず話し合いの美徳を強調する。


 こうした過激リベラルの政治スタンスは、オバマ氏自身とテロ組織の元指導者ビル・エアーズ夫妻や、反白人キリスト教会のジェレマイア・ライト牧師、パレスチナ過激派幹部、有権者不正登録の活動組織、過激反戦組織などとの密接なつながりとも合致していた。大手メディアはこうした暗い側面を追うことがほとんどなかった。


 しかしオバマ氏は大統領選では民主党最左派、過激リベラル派の主張を引っ込め、ぼかし、穏健派カラーをもっぱら前面に出していた。それでも選挙での支持陣営には反戦組織のMOVEONなど過激な団体が加わっていた。オバマ氏にはこのように現在の表面でのレトリックと過去の水面下での現実の言動とにギャップがあり、同氏が真に信じるところの実体をつかむことを難しくしている。

http://sankei.jp.msn.com/world/america/081106/amr0811060045002-n1.htm



そのようなバックボーンを持った人物なので、古森義久氏が指摘するように、上院議員としては急進リベラル派としての傾向が出ているのでしょう。このあたりは、日本の市民運動系の議員と似たような傾向と言えると思います。
ただ、オバマ氏が違うのは、保守系の人たちからも評価されていることです。

特徴的なのは周囲の貧困コミュニティの大学への敵意である。教授陣には郊外やダウンタウンから車で通い、日常生活ではハイドパーク付近に関わらない人も多い。ところが、オバマ講師はハイドパークに居を構えた。そこは大学の知的空間と、周囲の黒人ゲットーの「境界線」だった。知的空間と貧困街が隣り合わせに存在していたことが、コミュニティのオバマと、シカゴ大学オバマという「二つのオバマ」を併存させることを実現させたのだ。「シカゴ南部のオバマ」には、このどちらが欠けてもいけなかった。イリノイ州議会のスプリングフィールドでのオバマは、白人議員とも歩調があわせられる、人種を横断する社交性を発揮した。ゴルフやポーカーに参加しては、白人議員にも溶け込んでいった。これは黒人だけでかたまって行動する気質のあった、旧来の黒人政治家にはない行動パターンであった。


法律事務所に就職して安定した生活を得るようになったハーヴァードの同期とは違う、茨の政治人生を歩むことになったオバマは、同期を羨ましいと思ったことは当然ない。オバマにはその種の「エリート」主義は見られない。しかし、知識人としての知的欲求と、地域活動家としての自分の土着の活動、州議会での白人議員との付き合いのあいだに、ある種の亀裂とフラストレーションもあった。そうしたなかで、心を休める緩衝剤が、シカゴ大学で大学院生に法律を教える純粋な知的生活だったのである。教壇やカフェテリアでの同僚教授との議論は、コミュニティ活動に没入してきたシカゴ南部にあって「知的オアシス」であり、オバマの法律専門家として、そして知識人としての「自己確認」だった。


シカゴ大学講師としてのオバマ


そのオバマシカゴ大学講師の経歴について、今回のキャンペーン過程でスキャンダルめいた報道がなされたことがある。講師としての実態に疑義をさしはさむ、オバマの「肩書き論争」である。予備選直前に勃発した。オバマ陣営は、いくつかの配布物に、オバマを「プロフェッサー(シカゴ大学元教授)」と書いていた。しかし、「実際にはシニア・レクチャラー(上級講師)だったではないか」という批判が出た。実態を検証したのは「ワシントンポスト」紙だった。結論はその中間にあった。たしかにオバマはシカゴでテニュアを獲得していなかった。その意味では「上級講師」にすぎなかった。しかし、大学院生を教える高度な専門経験を持つ講師であれば、敬意を示すために「プロフェッサー(小文字でprofessor)」と呼ぶ事は、少なくともシカゴ大学では日常的だった。シカゴ大学当局も「オバマ氏はa professorとして奉職していた」と調査に対して明言した。シカゴでは「事実上の教授扱い」だったのである。「事実上」である。疑惑は晴れた。


この肩書き問題がスキャンダルとして大きくならなかった最大の要因は、殺到したメディアの取材にシカゴ大学の同僚教授たちが口を揃えてオバマを擁護したからだ。「素晴らしい教授だった」「教授会としてはオバマ氏さえ望めばいつでも正規の教授に迎えるつもりだった」など、全国メディアだけでなく、地元紙の「シカゴサンタイムズ」などの取材に教授陣は異口同音に回答した。2007年12月頃からくすぶっていた「肩書き論争」はじきに沈静化した。別号で述べたように、シカゴ大学は必ずしも民主党色の強い大学ではない。ロースクールを含む社会科学系統には、経済学部、政治学部を中心に共和党支持者が多い保守性が顕著だ。そうしたシカゴ学派の学風にあって、民主党オバマを、共和党支持者も含む教授陣が「立派な講師で、教授と同等だった」と擁護し、批判的なコメントはたとえ匿名でもほとんど出なかったことは、驚異的だった。


シカゴ大学のキャス・サスティーン教授(現ハーヴァード大学)は政治学部とロースクールの兼任教授で、かつての同僚のオバマと大学職員のミシェル夫人の双方と親しい大学当局者の一人だ。教授は次のように筆者に語っている。


「ミシェルも人望があつく大学内でたいへん気に入られていたが、オバマ氏は法律学の講師として完璧であり、学生にも教授陣にもとても愛されていた。オバマ氏が他の教授陣とくらべて例外的だったのは、彼の授業に政治的な偏りがまったくなかったことだ。憲法への情熱は深い。講師としても一流だった。私がオバマ氏と食事をしたときは、いつも話題は憲法をはじめとした法律全般と政治だった。下院選挙に落選した時期のオバマ氏の気持ちはわからない。ボビー・ラッシュ下院議員も素晴らしい人物であるが、オバマ氏は魅力的だし私は好きだった。オバマ氏は議員活動と大学講師を同時に両立していたが、このことに大学当局から懸念が示されたことはない。むしろ、私たち教授陣はオバマ氏をフルタイムの教授にするように希望したが、オバマ氏が結局、政治を選んだ」


予備選で噴出したスキャンダルの「火種」は、かえってオバマの法学者としての専門家の間での評価の高さと、超党派で同僚に愛される人格者ぶりを証明した。中傷として機能しないばかりか、オバマ陣営を利する「無料広告」になった。これを候補者の驚異的な運の良さと見る向きもあろうが、オバマの人徳の勝利であったといえる。オバマを中傷して「刺そう」と思えば、いくらでも匿名のコメントで悪く言う事はできたからだ。オバマに対するシカゴ大学内での尊敬は超党派だった。学生の評価でも上位にあったことは「シカゴサンタイムズ」紙の調査で明らかになっている。オバマのロースクールのクラスは、私たち社会科学系統(ソーシャルサイエンス・ディビィジョン)の大学院生全体の間で評判だった。華型の派手な講師ではなかったが、ロースクールにおける弁護士養成の短期的な視野に限定されない、脱「ロースクール」的な深い知的魅力に対する静かな人気だった。

アメリカNOW第25号 シカゴ大学「ハイドパーク」とオバマの関係性をめぐって(渡辺将人) | 現代アメリカ | 東京財団



オバマ氏がかつて講師を務めていたシカゴ大学は、先ほど述べたサウスサイドのハイドパークにあります。シカゴ大学と言えば新古典派経済学の牙城であり保守的な気風の強いところですが、その中でもオバマ氏は愛され、大統領選でスキャンダルが起こったときは擁護されたそうです。*1
大統領選でも超党派的な人気を得た感がありますが、元々そういう人物なのでしょうね。

本質的には弱者に優しく、リベラル色・左派色の強い人物であるが、穏健な保守派ともうまくやっていくことができる現実性も持ち、幅広い人気を得ることができる、バラク・オバマとはそんな人物なのでしょう。


そんなオバマ大統領が打ち出している経済政策は、やはりリベラル色が強く、低所得者層向けの財政出動が中心となっています。

 [5日 ロイター] 4日投票が行われた2008年の米大統領選挙で、民主党候補のオバマ上院議員(47)が共和党候補のマケイン上院議員(72)に勝利し、米国初の黒人大統領が誕生することになった。
 来年1月20日に第44代大統領に就任するオバマ氏は、米国経済の立て直しのため、景気刺激策の導入を提案する見通し。


 以下はオバマ氏がこれまでに提案した景気刺激策の内容。


 ◎石油会社に対し原油価格上昇により押し上げられた収益に課税し、エネルギー価格上昇による負担増を国民に還元するための原資とする。
 ◎企業が米国内で新規に正規雇用する労働者1人あたり3000ドルの税金控除枠を付与。期間2年の時限措置。
 ◎中小企業に対する、設備投資や土地投資にかかった費用を25万ドルを上限として直ちに減価償却が可能とする措置の期限を、2009年末まで延長。現在の措置は08年末で期限切れとなる。
 ◎中小企業に対するキャピタルゲイン税を撤廃。
 ◎道路、橋梁、教育機関の建物などの建設・補修のために250億ドルの予算を直ちに割り当て。
 ◎景気低迷に直面している州に対し、不動産課税の引き上げや重要なサービスを縮小せずに済むよう、総額250億ドルを供給する。
 ◎米国の自動車メーカーを支援し、燃費効率の高い次世代自動車の開発を後押しするために、500億ドルのローン保証を行うほか、他の選択肢も検討する。
 ◎ローン返済が遅れた住宅保有者が住宅を差し押さえられるのを避けるため、差し押さえの前に90日間の猶予期間を設ける。
 ◎長期にわたり失業している人々に対する失業保険の給付期間を延長し、失業保険に対する課税を一時的に停止する。
 ◎退職者に対して70歳に達してから6カ月後に退職口座から資金の引き出し開始を求めている規則の適用を棚上げ。
 ◎住宅暖房コストの援助を拡大する。
 ◎財務相や住宅都市開発長官に対し、既存の権限をモーゲージの条件緩和に積極的に活用するよう指示する。
 ◎住宅保有者を支援する方向に破産法制を改正し、ローンの借り換えを促進するため法的な障害を排除する。
 ◎長期的に、ブッシュ大統領が実施した富裕層向け減税の一部を撤回し、低所得層向けの恒久的な減税を実施する。
 ◎北米自由貿易協定を見直し、世界全体で良好な労働および環境基準を促進するために貿易協定を活用する。米国の雇用を海外にシフトする企業に対する税制優遇措置を撤廃する。

情報BOX:オバマ氏が提案するとみられる景気刺激策 | ビジネスニュース | Reuters



今のFRB議長がバーナンキ氏であることや、資源や食糧の高騰によるインフレが収まりつつあることを考えると、オバマ政権での経済政策は、オバマ氏の財政出動を、バーナンキ氏が低金利・マネー供給政策で支える、財政・金融を組み合わせたリフレ政策となると思います。
長年リフレ政策を主張している身としては、オバマミックス(?)は注目せずにいられませんね。

*1:もしミルトン・フリードマン氏が生きていたら、どんなオバマ評が聞けたのでしょうね。