Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

デフレ脱却無くして構造改革無し?

2/12の記事(後藤田正純氏は反市場経済主義者? - Baatarismの溜息通信)で鍋象さんが買い手独占の話に関連して、次のようなコメントを寄せてくれました。

鍋象 2008/02/13 05:25


独占の問題は、売り手独占だけではなく、買い手独占もあります。独占禁止法に対して下請法というのもあって、公正取引委員会は両方に対して責任を負っています。今の日本では買い手独占の問題が顕在化していて、通りすがりさんの指摘は、この点だと思います。


これは利益配分の公平性の問題であって、デフレの原因は新銀の金融政策です。そもそも買手独占市場の分析が経済学で流行らないのは、買い手の参入は比較的簡単だからです。でもデフレで椅子取りゲームをやってると新規参入は見込めないわけで、買手独占を打破するような参入がおきにくいわけです。


まずはデフレを駆逐せよと思いつつ、日銀に対するガバナンス能力を持たない政府からしたら、対症療法で買手独占問題の解決に言及するのは別におかしいとは思いません。それが経済成長につながるという部分はトンデモですが、デフレを問題視する人であれば、デフレが産業の参入退出の流動性を著しく下げていること、それが買い手独占問題を生じている事も、弊害の一つとして理解して欲しいなぁと思います。


あと、廉価販売の抑止には、国内では外部不経済を内部化しているのに海外(要するに中国)ではやっていないという視点もあるのでは?。ルールが違うのに自由競争なんかできるわけがないわけで。相手国に直接文句を言うと内政干渉だけど、買う側として規制を加える(例えばポジティブリスト)はやるべきだと思います。



ここで鍋象さんが指摘している「デフレが産業の参入退出の流動性を著しく下げていること」というのは、僕にとってもデフレを問題だと考えている大きな理由の一つです。


デフレ不況が深刻だった頃、デフレ不況は生産性の低い企業や産業を退出させ、日本経済を効率化させる(「筋肉質」にするという比喩もありました)という考え方が広まりました。小泉政権構造改革が支持された理由の一つに、このような考え方があったことは間違いないでしょう。
しかしこの考え方は一見正しいように思えますが、よく考えてみるとおかしいと思います。
デフレ不況下では投資や消費をせずに貨幣を所有し続けている方が有利になりますから、投資や消費は低調となるでしょう。そのような状況で行われる投資としては、リスクの低い大企業や既存産業に対するものが好まれ、新興企業や新規産業は投資を得るのが困難となると考えられます。一方、消費の方もこれまでの生活を維持するための消費が中心となり、生活の質を向上させたり、生活のスタイルを変えるための消費は伸びないでしょう。新興企業や新規産業はこのような「生活の質を向上させたり、生活のスタイルを変えるための消費」を新規市場として狙うことが多いですから、新興企業や新規産業が市場を得ることも困難になると思います。
従って、デフレ不況で生き残るのは効率の高い企業や産業ではなく、すでに資本や市場を確保している既成勢力であると考えられます。鍋象さんが指摘している「デフレが産業の参入退出の流動性を著しく下げていること」というのは、このことを指すのだと思います。


そして、僕はこのような状況が構造改革がうまく行かない理由にもなっていると考えています。
構造改革では、「官から民へ」という言葉に象徴されるように、「官」が握っていた資金や事業を民営化したり、「官」が行っていた規制を緩和することで、「民間」が行える事業の範囲を広げることが狙いとされています。そのような狙いを達成するためには、「民間」の方でも新規分野に参入しようという企業が出てくる必要があります。しかし、デフレ不況下ではそのような企業が投資を得るのが困難ですから、いくら政府が構造改革の旗を振っても、「民間」はそれに応じることはないでしょう。その結果、「官」が握っていた資金や事業を民営化しても、その実態は「官」が握っていた時代と変わりなかったり、「官」が行っていた規制を緩和しても、その規制緩和を利用した新規事業に参入する企業が十分出てこなかったりすると思います。そのような状況では経済的な効果が上がらず、構造改革は成功とは言えないでしょう。
先の参院選でばらまき政策を上げた民主党が勝利し、その後自民党でもばらまき政策が復活しつつあるのも、このようなデフレ不況を原因とする構造改革の停滞が背景にあるのではないかと思います。


このように「デフレ脱却無くして構造改革無し」というのが僕の考えです。そして小泉内閣がデフレ脱却を政策目標として掲げていたのも、このような認識が少なくとも高橋洋一氏や竹中平蔵氏にはあったためだと思います。
しかし、それ以外の構造改革派の中には、先に述べたような「デフレ不況は効率の低い企業や産業を退出させ、日本経済を効率化させる」という考え方を持つ人も多く、そのような人にとってはデフレ脱却のために金融緩和や財政政策を行うことは、生産性の低い企業や産業を「ゾンビ」として生き残らせることだと映ったのでしょう。彼らは、デフレ不況下で生き残る鍵は、生産性の高さではなく既存の市場や資本を握っていることだということが、理解できなかったのでしょう。
そしてそのような考え方を持った人は、小泉内閣構造改革は支持しつつも、同時に財政再建にこだわる財務省名目金利の上昇にこだわる日銀と手を組んで、デフレ脱却を妨害したのでしょうね。今の構造改革の停滞は、その当然の帰結だと思います。


先に説明した「デフレ不況は効率の低い企業や産業を退出させ、日本経済を効率化させる」という考え方は、デフレ脱却を最優先とするリフレ派の間では「シバキ主義」と呼ばれて批判されています。今後、構造改革が復活して成功するかの鍵は、構造改革派がこのような「シバキ主義」を否定できるかにかかっているのではないでしょうか?