Baatarismの溜息通信

政治や経済を中心にいろんなことを場当たり的に論じるブログ。

「“上の人”が隠れて表に出てこない」一つの理由

ITmedia岡田有花記者による梅田望夫氏のインタビュー記事が、ネットで話題になり、あちこちで批判されています。梅田氏は「Web進化論」以降の数々の著作で、ネットの発展について常に楽観的な見通しを主張していたのに、最近になって悲観的な見通しに転じたと見られていることが、この批判の背景にあるのでしょう。
梅田氏がネットの世界にこれまで夢見てきたもの(そして今は裏切られていると感じているもの)が何であるかは、以下の梅田氏の言葉と、それを解説した海部美知さんの言葉でうまく表現されていると思います。

 ただ、素晴らしい能力の増幅器たるネットが、サブカルチャー領域以外ではほとんど使わない、“上の人”が隠れて表に出てこない、という日本の現実に対して残念だという思いはあります。そういうところは英語圏との違いがものすごく大きく、僕の目にはそこがクローズアップされて見えてしまうんです。

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia NEWS

梅田さんが「好き」であって、日本でもその登場を期待したネットの世界とは、「バーチャル・アテネの学堂」だったんじゃないかと思う。ネットの上でアニメが氾濫することも、ネットで大もうけするベンチャー企業も、あったっていい。ネットという無色透明なツールの上では清濁なんでもありだし、アテネの学堂の運営を長期的に支えるなんらかの金銭的なサポートも必要ではある。

しかし、本当のところは、そういった大きな仕組みの中で、「チープに手軽に、地理的制約もなく、自らの考えを公表したり議論したりすることができる」という特徴を使って、知的な議論が交わされ、シリコンバレーでよく使われる用語を使って大げさに言えば「世界をよりよくするため(to make the world a better place)の知識」が形成され、それが多くの人の手によって実行に移されていくことが「すごいこと」なんだと思う。ギリシア時代のアテネの学堂には、奴隷をいっぱい持っていて自分では働く必要もなく豊かな生活をしている暇人しか集まることができなかったけれど、ネットというツールを使えば、たとえうつし身は日本企業の泥沼や子育ての桎梏にあったとしても、心だけはアテネの学堂に参加することができる、ということが「すごいこと」なんだと思う。

この「アテネの学堂」の世界については、以前「空海の風景」についてのエントリーの中で言った「現代の長安」や、物議をかもした「日本語が亡びるとき」では「読まれるべき言葉の連鎖」だったかな?という言い方で表現されている、そういったものと共通の概念だ。

その世界が、これだけ「知的能力」の高い人がたくさんいながら、日本では絶望的に小さいということが、梅田さんが「残念」と言っていることなんじゃないかと思う。

梅田氏と「アテネの学堂」 - Tech Mom from Silicon Valley



これらの発言にあるように、梅田氏は日本においても「バーチャル・アテネの学堂」が誕生することを夢見たが、それが「“上の人”が隠れて表に出てこない」という現実に阻まれていることが、残念でならないのでしょう。


これに対して小鳥ピヨピヨさんは、その原因として「ハイブロウな人たちの頑張りが足りないからかも知れない」と指摘しています。そして梅田氏には、ハイブロウでエスタブリッシュメントな人たちをネットの世界に引きずり込むよう頑張って欲しいと言っています。

だから、もし日本のネットにハイブロウさが本当に足りないのであれば、それはサブカルチャーに属する人たちの問題じゃなくて、ハイカルチャーに属する「最先端・最高峰な一流の人」たちの問題だと思うのです。

日本では、最先端・最高峰な一流の人なればなるほど「忙しいからネットをやらない」というスタイルがクールに見えるような部分がある気がします。
だからそういう人たちが、ブログで積極的に情報を発信したり、mixiはてブやClippやワッサーやフォト蔵やPeeVeeや4dkやニコ動を、個人または自分の企業で積極的に使いこなしたりしないし、投資や広告出稿やスポンサードもあまり熱心じゃない。

まあ、問題といっても、別に使わないで済むなら使わなくたっていいし、忙しいからネットなんか使ってられないというのも、正論な気がします。数あるツールの1つに過ぎないんだから。

だから……ここは梅田さんがひと肌脱いで、日本の「最先端・最高峰な一流の人」たち、ハイブロウでエスタブリッシュメントな人たちを、ネットの世界に引きずり込んで、日本のネットをより高尚にするというプロジェクトを開始してみてはいかがでしょうか?

手段は、自分でメディアやサービスを立ち上げてもいいし、NPOやファンドを立ち上げてもいいし、1人1殺で口説いていってもいい。
追記:ハイブロウな人たちの集まるパーティやイベントやセミナーで「お前ら、もっとネットで発信しろよ!」とか「お前ら、もっとネットに金使えよ!」って説教してもいいですし、ご自身のブログにそう書いてもいいですね。この記事と同じくらい強い調子で。

なんでもいいのですが、今の梅田さんの立ち位置だったら、今までネットには及び腰だった人たちを、ネットに向けさせることが可能だと思います。

そういう意味で、梅田さんには期待しています。または梅田さん自身が動けないのであれば、同じような残念感を共有する他のどなたかか。
頑張ってくださいー。まあ個人的には、日本にだって米国並みにハイブロウなコンテンツも結構あるし、ハイブロウな人たちも結構いると思いますけどね。

日本のネットが「残念」なのは、ハイブロウな人たちの頑張りが足りないからかも知れない(追記あり):小鳥ピヨピヨ



僕もこれらの意見はもっともだと思うのですが、自分自身これまで何年間か経済や政治という分野で、自分なりに「知的な議論」を行ってきた経験から考えて、まだ指摘されていない問題が一つあると思うのです。


日本においてこのような「知的な議論」を行うだけの知見を有するのは、大学の研究者や文化人を除けば、政府、政党、官庁、企業、マスコミなどの組織において、議論の対象となる専門分野を仕事としている人となるでしょう。梅田氏は『「総表現社会参加者層」みたいなのが、人口比で言えば500万人』と行ってますが、その多くはそのような社会的立場にいると思います。
しかし僕が見たところ、それらの組織は、所属している人がネットで仕事に関わる分野について主張することを、好ましく思わないことが多いです。*1
日本ではそのような人がネットで発言する場合、ハンドルネームを使って正体を明かさずに発言することが多いです。そして何らかの理由で正体がばれたり、組織の方針が変化してネットでの発言を「黙認」しなくなった場合、過去の発言も含めてブログが削除されてしまうことが珍しくありません。
もちろん職務上知り得た情報の中には秘密保持が義務づけられているものも多いですが、そんなことは組織人なら誰でもわきまえていることでしょう。しかし日本の組織は、特に秘密にする必要がない一般的な話や個人的な意見についても、組織外で発言することを嫌う傾向があると思います。
このように日本の組織が所属員に対してネットでの発言を禁止したり自粛させたりすることが、「“上の人”が隠れて表に出てこない」大きな理由であり、「バーチャル・アテネの学堂」に対する大きな障害であると思うのです。


従って小鳥ピヨピヨさんが言うように、ハイブロウな人たちがネットで活動するよう頑張ったとしても、その頑張りは組織の壁によって止められてしまう結果となります。
だから梅田氏が本当に行うべき事は、日本の組織が所属員のネットでの発言を禁止しない・自粛させないよう、それらの組織の経営者層に対して訴えることだと思うのです。「ネット進化論」などの著作は経営者層の間でも広く読まれたはずですから、梅田氏の言葉であれば、少なくとも一般人よりは経営者層を動かせる可能性があるでしょう。
もちろん外部から大きな組織を動かすというのは大変なことですが、それでも日本のネット世界のレベルの低さを嘆いているよりは、よほど前向きでポジティブな話だと思います。それに大衆のネガティブな意見よりは、まだ組織の方針の方が動かし易いでしょう。
日本に「頭の良い人」がいないのであれば絶望するしかありませんが、そのような人がネットで発言できない障害があるだけなら、それを取り除いてやれば良いわけです。梅田氏には自らの理想の実現をあきらめずに、頑張って欲しいと思います。梅田氏の数々の著作が主張しているように、それがネット社会のみならず、日本社会全体を良くすることに繋がるはずですから。

*1:例えばかんべえ氏(吉崎達彦氏)のように、すでにマスコミ等で名前を明かして発言している場合は、組織も例外扱いしてくれるのでしょうが。